希望の島プロジェクト 仲間たちのブログ

2012年1月

« 2011年12月 | メイン

ワールドクラスな、島ユースたち。

 今朝の愛媛新聞には、弓削島民にとっては誇らしい記事が二つ並んで掲載されていた。
 「頑張る若者 光る才能」の見出しの通り、二つの事例とも若い力の結晶である。

 一つは、全国高専プログラミングコンテストにおいて、弓削商船高専マイコン部員5人の開発した機織り作業支援ソフトが自由部門の優秀賞(準優勝)に輝いた、というニュース。誰でも簡単に楽しく機織りができるというプログラムで、記事には書かれてなかったが、以前マイコン部にお邪魔して直接聞いた話では、消えゆく日本の伝統文化を残すためにITを活用したいという発想であった。ITはあくまでツールという考えが学生たちにも浸透していることに驚いた。
 ちなみに弓削商船高専は、同コンテストや他の全国規模のプログラミングコンテストで、毎年のように優勝者や準優秀賞者を輩出している。

 もう一つの記事は、弓削高校パソコン部の生徒二人によって地球温暖化防止をテーマに作成されたポスターが、国際統計協会などによってイギリスで開催された国際統計ポスターコンクール高校部門で9位に入賞したというトピック。CO2の国別排出量や国内における家庭排出量推移など9種のデータをグラフを使ってビジュアル表示し、家庭でできる温暖化防止策の実行も呼び掛けている。同コンクールは世界30カ国から4900人の代表が競い合ったということでまさにワールドクラスの偉業である。

 弓削高校パソコン部は、本年度「全国高校生観光甲子園」においても、観光プログラムや集客のプランで優秀作品賞を受賞しており、その報告会の記事もつい先日掲載されたばかりであった。

 弓削商船高専にせよ、弓削高校にせよ、私が移住するずっと以前より統合の可能性や廃校の可能性が検討されている。

 しかしどうであろう。受験者数や生徒数がどんなに少なくなっていても、全国クラスやワールドクラスが次々と現れるというのは。
 これは単なるラッキーパンチの偶然な重なりであろうか?
 それとも島という環境が、特別な才能を強化促進してくれる何かを持っているのだろうか?
 いずれにせよ、離島、田舎という環境が才能を育て、開花させる上で何ら妨げにはなっていないということを、それどころか存分に発揮させることができるということを証明してくれる嬉しいニュースであった。

 弓削商船高専マイコン部のNさんは、純粋弓削島培養の学生で今年卒業を迎える。
 以前より「弓削島を離れたくない。弓削島で仕事ができたら嬉しい。」という願望を漏らしていたが、この春より東京の有名IT企業で働くことがすでに決まっている。
 島を愛する若者が一度島を出て外の世界を知り、外から島の良さを(悪さも)客観的に見てみる、ということは悪くないことだし、島育ちの人材が都会の最前線で活躍するというのは誇らしくもあるのだが、それ以上に「もったいない。」という思いが頭をもたげる。
 「島で仕事ができたら。」という願望を、願望のままで終わらせないことができたらどんなにかすばらしいか。

 弓削島は、主に海外航路の船員という形で、100年を超えて世界中に人材を送り出し、世界の文物を島に持ち帰って来た歴史を持っている。
 そんな歴史の上に、今なおワールドクラスの人材が育つ土壌をこの島は持っているのだ。
 ワールドクラスの人材が、育ったのちに、ワールドクラスの仕事をするワールドクラスの島にしようじゃないか。


 

稲むらの火

 1月17日、阪神淡路大震災から17年目を迎えて、各地で防災行事や追悼イベントが行われた。
 昨年は東日本大震災もあって、日本が地震大国であることの事実と、備えとなる防災の重要性を日本中が痛感していることと思う。

 東京数寄屋橋には、関東大震災を忘れぬよう建てられた「平和の神の像」というのがあって、そこには「不意の地震に不断の用意」という文字が刻まれている。
 まさに、地震のようにいつ襲ってくるかわからない災害に対しては、日常からいざという時の準備や訓練をしておくしかない。
 しかしながら、のど元過ぎて熱さを忘れたり、対岸の火事と高をくくりやすいのが人間の常であり、かくいう私も自分自身がどういう災害に際してどう行動すべきかというシミュレーションがきちんとできているかというと自信がない。
 「瀬戸内海は、大きな地震もないし、まして津波の被害などはありえない。」というのが、このあたりに住む人々の大方の意見のように思われる。
 私も、統計上確率としては少ないであろうということで、ある種の安心感をもってきたことを正直に打ち明ける。

 しかし、四国北部は東西を貫く形で中央構造線が通っているし、100~150年周期で発生している南海大地震においても、1707 年宝永大地震、 1854年安政南海大地震などの記録によれば、広島や愛媛の沿岸地域で、1.5~2.5Mの津波が襲い、農地や家屋に被害を与えたとされている。また東日本大震災の状況が酷似しているとされる平安時代には、東海、東南海、南海の連動による大地震も起きている。決して他人事ではないのだ。

 戦前の小学校の国語教科書には「稲むらの火」という話が掲載されていた。
 1854年の安政南海大地震の際、紀伊国広村(現・和歌山県広川町)で起きた実話を題材にした物語である。

 物語の主人公である五兵衛は、村の高台に住む庄屋で、地震で揺れた後に、海の水が沖へひくのを見て津波を予測。祭りの準備にいそしむ村人たちに危険を知らせるため、刈り取ったばかりの稲束(稲むら)に火をつけた。村人は火事だと思って高台に集まったことによって津波からまぬがれることができたというストーリーで、五兵衛のモデルは、濱口梧陵という実在の人物だ。

 史実においては、濱口梧陵は商人であり、家は町中にあったという。また、燃やしたのは脱穀を終えた藁の山であり、津波を予知してではなく、津波が来襲したのち、暗闇の中で村人に安全な避難路を示すためであったらしい。
 しかし物語には描かれていない大きな功績が梧陵にはある。彼は津波による災害の後、将来の憂いに備え、私財を投じて村に防潮堤を築いた。この防波堤が、事実100年後にこの地を襲う昭和の東南海・南海地震による津波から集落を守ることになる。

 犠牲を払って100年先に地域の人々を救う備えを施した梧陵と、いつやって来てもおかしくないとされる大地震に対して自らの備えもなしえていない自分との落差に少々顔を赤らめてしまう。

 稲むらの火は、自然災害と背中合わせの日本という国の心構えを示すものであると同時に、日本人の本来持っている公共の精神を象徴するものであると感じる。
 稲むらの火を絶やしてはならない。
 

大志の交差する島

週末は、センター試験があり、全国の若者が国公立大学入試の最初の関門に挑んだ。

弓削島では、国立弓削商船高専の入試が行われた。
カフェにも、入試を終えた生徒とその親御さんといった風のお客さまがいらっしゃっていた。

思い返せば僕が高校や大学受験をしたのは、全国の受験者人口もピークのころで、「受験戦争」なんて言葉が普通に飛び交っていた。今考えたら、戦争だなんてそんな物騒な、と少々滑稽に思えるのだが。
そんな中で、進学以外の選択肢や、大学へ行く意味、その先の進路すら考えることもせず、ただ当然のように受験の道を選んだのであった。

今の生徒たちはどうなのだろうか?
かつてのように、有名な学校に進学し、大企業に就職することは、必ずしも安定や発展を約束してくれるものではない。確信を持って安定した将来を描いている学生も、企業もほとんどないのが現実ではないか。

自分は疑うこともせず、ただ安定のレールに乗っかろうとしたが、結果として自らそこを逸脱した。
逸脱したのは自分の選択だ。
安定のレールすら空想物語のように感じられるこのご時世では、選択のタイミングは否応なくもっと早くにやってくるのかもしれない。
自分の進路を決める際に、自分の生き方、自分を活かせる場所、学ぶ目的など真剣に考えるようになっているのだとしたら、不況や不確実性の世の中も悪いことばかりではないとも思う。

県外から弓削商船高専に通うUさんのご子息は、人命救助のロボットを作るために高専を選んだ。
Uさんの言葉を借用すると、3年間、島で暮らし、島に医療機関が無いこと、病気をしたら高い乗船料の船に乗り、病院に行かねばならないこと、ロボットが人命救助をするより、自分の手で人を助けたいと、医学の道に方向転換し、今回センター試験を受けたのだそうだ。

そんな志をもった若者が、この島で勉強しているのだと思うと何とも誇らしい。
もっとも、そんな有為な人材が島を巣立っていくことは喜ばしいことでもあり、少々さみしくもある。

14日新居浜市で実施したセミナーでは、生名島出身の若者M君が、勤務地の大阪からわざわざ駆けつけてくれた。
彼は24歳。弓削商船出身ではないが、やはり県外の高専を卒業し、IT企業に勤める。
セミナー終了後に話をしたところ、いずれ上島町に戻り、島でソフトウェア開発の事業を立ち上げて、雇用を生みたいということであった。
弓削商船高専や外部の企業と連携し、ITやエネルギーなどの新産業を島に興していきたいと考えている僕は、M君と大いに意気投合し夢を語り合った。

若者が夢を持てない時代だ、なんて言葉をよく耳にする。

どっこい夢をもってる若者は、まだまだいる。
いや厳しい時代にこそ、真剣に夢を追いかける若者は多いのかもしれない。

大志をもった若者が思う存分活躍できる環境を、我々が作っておかなければならない。
我々に頼らざるとも彼らはやるのだろうけれども、だからといって我々が我々の責務を放棄してよいということにはならない。
少なくとも僕は、彼らの大志実現の力になりたい。

つなげ、たすき。

15日、第55回上島町駅伝大会(旧弓削駅伝)が開催された。
町外からも多数参加があり、小学生から大人まで77チーム、約460人が寒空の下、健脚を披露した。

生名橋が開通して最初の駅伝大会である今大会は、コースも生名島、佐島、弓削島を結んで設定。
橋の上はさぞかし海風が冷たかったろうに、と思うが、当の選手たちは寒さなど感じさせぬ走りっぷりで観客を魅了した。

毎年、大会が近付くと、島のあちこちで小学生から高校生まで駅伝の練習が見られ、島の冬の風物詩となっている。
弓削高校は目下存続の危機にあり、このまま人口減少が続けば、小学校、中学校とて、駅伝チームを維持することが難しくなるかもしれない。
島の風物詩がなくなることのないよう、この伝統も、そして地域も学校も次の世代へとたすきを渡していかなくては・・・。

120115


青春とは心の若さである。

12011401

12011402

12011403

12011404

12011405

 先日予告させていただいた『地域応援セミナーとうよ~若人発!集おう 語ろう 創ろう 未来の郷土』が、本日400人以上の観客を集め、盛況のうちに幕を閉じた。
 心配された天気も問題なく、しまの会社が参加した各市町の特産品ブースも、「書道ガールズ」で有名な愛媛県立三島高校の書道部員による書道パフォーマンスも期待以上の人気ぶりであった。

 今回の会は、普段こういう場に出てこれない若者世代を引っ張り出してきたこと、地域の中で若者同士がつながったこと、そして異なる地域同士がお互いのことを知り、意見を交わしたことの意義がとても大きい。
 各市町の発表も様々で、特定の活動にスポットライトを当てるものあり、高校生が街に出て取材するものあり、某上島町のようにおっさんになりかけの若者もあり、それぞれに特色を出ていて良かった。

 上島町の事前作業部会でもそう感じたが、お互いが足を引っ張り合うのではなく、認め合い、切磋琢磨し、ときに助け合うことが、総体として力を高めることになる。
 世代間もそうで、若者という一つの世代は、年配の誰もが通って来た道であり、子供たちがこれから通る道であり、それは連綿と途切れなく続くことで、地域も、未来もつくられていく。
 これからは若者だけにまかせようにも人がいなくなってみんなで力を合わせざるを得なくなる。
 若者も定年延長しなくてはならない時代である。
 でも世代間が触れ合い、つながることで、大切な知恵や文化も伝えることができる。

 この会はすばらしかったが、この会だけで終わっては、せっかく盛り上がったこの会の意味は半減する。
 この会をきっかけにして、少しずつでも石を積み上げていきたい。

 上島町代表の実行委員であり、登壇者でもあった岩城新鮮組(※組関係者ではない)の砂川さんが帰り際に言ってくれた言葉が秀逸だった。
 「これをきっかけにしてまた寄ろう。ただの飲み会でもええじゃん。飲んで話したことは全部忘れるかもしれんけど、忘れたらまた次の飲み会で同じこと話せるんじゃけん。」

徹底改造

 野田改造内閣が発足した。
 政経塾からは松原仁先輩が新たに入閣を果たした。
 見慣れたお顔が国家の要職にあることは喜ばしくもあるが、しかし国家の実情は決して安穏と構えてはいられない。

 今回の目玉は、岡田克也前幹事長の副総理兼行革担当大臣兼社会保障と税の一体改革担当大臣就任といわれる。

 消費税増税を掲げて人気を落としている野田内閣。
 人気取りに走らず、やるべきことを断行するのはよいことだと思うが、増税する前に削るもの削れという意見は、もっともであるように思える。
 行政の無駄を省き、公務員改革にも着手し、歳出を抑えるのが順番として先だというのだろう。
 内閣の改造だけでなく、行政システム全体の大改造が急務だ。
 前原先輩いわく「ミスター原理主義」の岡田大臣が、行革を断行できるか、本当に楽しみだ。

 痛みもあるが、膿は出してしまった方が、結局直りは早いのだ。
 その点、国も地方も同じだ。

 宿題はため過ぎると、あとが大変なのよね。

プロジェクトX進行中。

 昨年度から、聖カタリナ大学(松山市北条)の非常勤講師を拝命しており、週一回、しまの大学を一緒に運営する白川さんと二人で、「しまの大学出前講座」と称して、大学生に地域課題やコミュニティビジネスについて学び、考えてもらっている。

 昨年度は、「しまの大学」自体の立ち上げと重なったこともあり、第1回地域課題解決アイデアコンテストに合わせて、学生たちにもチームに分かれてアイデアを競わせた。

 今年度は、学生たちの発意で、島の地域資源の中から「弓削塩」にスポットライトを当て、「弓削塩」を広めていくことで地域を活性化しよう、ということになった。
 年度末に向け、いよいよラストスパート。
 「自分たちの手で、『弓削塩』を一カ月の間に500個販売する。」という目標を立て、販売手法、売り場、宣伝方法など、いかにして売るかを議論し合い、役割分担をして自発的に準備を進めている。
 昨年度に比べて人数は少ないが(11人)、その分まとまりが良いようで、冬休みも自主的に集まって企画を練ったようである。昨年度もそうであったが、社会の常識に汚染されていない学生たちの発想は、粗削りだが、思わぬ斬新な切り口を提供してくれたりする。
 もっともつい現実離れしたアイデアに酔いがちになるため、今回は、それを避けるべく実際に自分たちでやってみるということになったのだ。

 こちらの不安をよそに、なかなかどうして若いというのは伸びしろが無限にあるようで、回を重ねるごとに、言葉やアイデアに説得力が増してくるし、議論の進め方も随分とうまくなってくる。「お、こりゃひょっとするとひょっとするかも。」とつい期待を寄せてしまう。

 島には、この二十代前半の世代はほとんど残っていないのだが、どっこい島を支える人材は島の外にだっている。
 島の力になってもらう一方で、彼らは新たな学び、気づき、成長を得られる。

 彼らの考える島の活性化の行方と、彼らの成長が、気になって仕方がない。

110112

アラフォーの主張。

 きたる1月14日(土)、新居浜市市民文化センターにて、シンポジウム『地域応援セミナーとうよ』が開催される。
 主催は、愛媛県社会福祉協議会を中心として構成される同名の実行委員会だ。
 私は、昨年だったか南予地域で開催された前回大会に講演者として参加した関係で、今回副実行委員長を仰せつかり、知らないうちに閉会のあいさつまですることになってしまっている。
 無事閉まるかどうかはなはだ不安であるが、しかし今回中身にはとても期待を寄せている。

 今回のテーマは「若人発!集おう 語ろう 創ろう 未来の郷土」。
 普段はなかなかシンポジウムに登壇して話す(どころか聴衆として参加することすら)機会の少ない、地域(愛媛県東予地域5市町)で活動する若者世代に、地域活動の紹介や将来の夢、現状の課題などについて語ってもらおうというもので、年齢層やテーマ、内容などが偏りがちな地域づくりのシンポジウムのスタイルに、新しい風を起こし、地域にも良い影響をもたらす会になりそうな予感がしている。

 昨晩上島町の代表と運営メンバーで直前最後の打ち合わせがあったのだが、上島町では本番に先立ち、11月に弓削島、12月に岩城島において、上島町内の様々な活動に携わる若手世代十数人を集めて、懇談会(全体会に先駆けた分科会。普通とは逆パターンといえる。)を実施した。

 若者といっても、島においては40代でも充分若者。メイン発表者に決まった弓削島の松本さんと、アシスト役の岩城島の砂川さんの、Wミツヒロコンビは、ともに41歳。上島町社協のF君を除けば、当日の上島町関係者は私を含め、みなアラフォーだ。他の4市の中には、発表者が高校生なんてのもあるようで、地域の実情をよく反映している。

 実年齢の若者度においては少々自信のない我々上島町であるが、内容における充実度においては、大いに自信を持ってよいと感じている。

 発表者の人間性や、F君のまとめてくれた発表用資料の完成度もさることながら、事前の懇談会が当初予測していた以上に活き活きとしたものであったからだ。

 普段、様々な立場で地域に関わる者同士は、例え顔見知しりであっても、地域にどんな問題意識を持っているか、どんな夢をもっているかなど、忙しさや照れも手伝って、お互いの思いを知る機会がない。

 ましてや平成の合併により、旧4町村の島々が一つの自治体となった上島町は、海という物理的な隔たり、歴史・文化の違いもあって、異なる島同士の交流が少なかった。
 それどころかお互いを敬遠する傾向がどの世代にもある。

 しかし、私のように合併後に外から来た人間から見れば、それぞれの島はそれぞれに良さをもっていて、競争しあうところは競争し、力を合わせるところは合わせて、お互いの特性を活かしあい、伸ばしあえばより強力な魅力を作れるのに、もったいないなあと思ってしまう。

 今回の会は、それらの壁をとっぱらい、オール上島で島の魅力を作り、伝えていくきっかけとなるものだと思う。
 最初は、遠慮がちに話していたメンバーだったが、2回目の集まりでは、視界の進行も無視して、各々が自分から語りだしていたのだ。
 しかも、それらの言葉の一つ一つがどこからか借りて来たものでは決してなく、島のことを愛し、島の将来を真剣に思う魂のこもった言葉ばかりであったことに、得も言われぬ感動を覚え、ひと筋の希望の光を見た。

 もちろん、そこに出てきた課題は、決して楽観していられるものではない。人は減り続け、行事や知恵・文化の存続も危ぶまれている。当然その先には地域自体の存続がかかっている。

 しかし、少なくともそこに集まっているメンバーは、それら島の魅力を知っており、次の世代に伝えていかなければならないと思っている。

 上島町の発表テーマは、誰が言うともなく「継承」となった。
 自分たちの知る島の魅力、少しずつ失われていく島の文化、知恵、遊びなどを、自分の子供たちにも知ってほしい。
そのことによって、たとえ島を出て行ったとしても、また帰ってきたい、島のために何かしたいと思ってくれる。
 島を残すために、そうしなければならない。

 そのために、みんなで楽しく集まれる場や、学校と地域のかかわり、異なる島々を結ぶネットワーク、世代間の交流の機会などをつくっていく必要がある。

 気づいたら予定時間を大きく過ぎるのも気づかず熱く語り合った。

 そんなアラフォーたちの熱い思いを、ぜひ当日会場に来て聞いていただければと思う。

日本は意外と広かった。

昨日、後輩(松下政経塾)の結婚式で弘前を訪れた。
初めての青森だったが、真冬の雪国というのが、
ぶあつい純白の布団をかぶせたように
雪に覆われてしまっているという光景に、全く驚いてしまった。
今まで知識の上では知っていたはずであるし、映像としても目にしているはずなのにである。

短い滞在ではあったが、
丘陵に広がる白い綿帽子をかぶったリンゴの木々や、
長い冬を過ごすための保存食の種類の多さ、
町のあちこちに飾られたねぷたの武者絵、
温泉に長逗留して体をいやす湯治の伝統の名残など、
同じ日本でも所変われば、気候も文化も風景も食も違うんだなあと、
今更ながらに感心した。
特に感動したのは、新郎である後輩K君に今朝町を案内してもらった時に聞いた話。
昔は学校が木造校舎であったころ、雪を校舎の中に入れて掃除したという。
雪を入れて箒で掃くことで、雪が埃を吸いつけて床がぴかぴかになるのだそうだ。
土地土地には、知恵も風土に合わせて多様化する。

昨今は、メディアや交通網や大規模流通システムの発達によって、
どこに行っても、同じような文化、店、品物、食べ物という風なので、
本来は土地によって風土、文化が違っていたのだと気がつくことが少ない。

しかし雪を使った掃除のように、その土地の特色を反映させた知恵や文化は、
外から来た者を唸らせるものが多い。

多様であることは効率が悪くコストがかさむイメージを抱かせるが、
多様な環境に対応した知恵こそがそのよいところを活かして無駄が少なく、
またリスクを分散することにもなって全体としては効率が良いのではないかと思われる。

そして、多様な文化があることは、
その文化の数だけ発見や魅力があるということであり、
そこに異なる文化同士の交流や摩擦や融合による化学反応が起こり、
新たな創造を生み出すもととなる。

さらに、異なる気候、風土をもつ土地同士は、
たとえば食一つにとってもお互いにないものを融通しあい、
補完関係になることができる。

あるいは、地理的に離れているというだけで、
どちらかが災害に見舞われたときに、
助けに行ったり、受け入れたりできるかもしれない。

ゆるキャラやB級グルメも悪くないが、
長い時間をかけてその土地で培われた
何でもないと(あるいは恥ずかしいなんて)思っている知恵や文化に、
他者を引き寄せる思いもよらぬ魅力が潜んでいるのではないだろうか?

もう少し足元を見直してみる価値はありそうだ。

下町ロケット

Photo

久しぶりのレコメン道。
今年は、つん読にされている可哀そうな数多の本を、
少しでも多く読んであげたいと思っているのですが、
まだ一冊も読めてません。

少し前に読んだ本ですが、
平成23年度上半期の直木賞を受賞作品であり、
今も本屋さんで平積みになってる本なので、
読んだ方や今読んでる方も多いのではないでしょうか。

文学作品としてよりもむしろエンターテイメント性の濃い作品のような気がしますが、
ただストーリー展開が軽快で面白いということよりも、
下町にある技術一本の中小企業が景気や元請けや競合他社から降りかかる様々な困難を乗り越えて、
ロケットを打ち上げる(厳密にはロケット部品を製造する)にいたるという、
夢を実現するまでの道程が心理描写や社会情勢を盛り込みながら表現されており、
読む者が物語に引き込まれていく感覚があります。

とにもかくにも『夢』のあるお話です。
今多くの人が欲しているストーリーなのかもしれません。
僕も元気と勇気をいただきました。

よろしかったらいかがでしょうか?

へっぽこ

カレイ

120107

ご近所の漁師のテツさんが、獲れたてのカレイを6尾もってきてくださいました。
いつもありがとうございます。
まだ生きております。
今から出かけるので、お土産にさせていただきます!

へっぽこ

天才のつくり方。

今朝の愛媛新聞の一面トップ記事は、
青色LED(発光ダイオード)を開発し、近年ノーベル賞候補に挙がる、
米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授のインタビューであった。

知らなかったのだが中村教授は愛媛県大洲市の出身であり、
愛媛新聞賞の贈呈式に出席するために帰郷してインタビューを受けたのである。

その大見出しは「古里の野山が原点」となっている。

本文をそのまま引用するならば、
「科学者としての原点は、瀬戸町(現伊方町)と大洲市で過ごした小学校時代に育まれたという。
瀬戸町では学校から帰るとランドセルを置いて海へ山へと遊びに繰り出す毎日。
転居した大洲市では週末のたびに『探検』と称して野山を駆け巡った。
勉強は嫌いだったが『さまざまな自然現象を解明するのが科学の本分。この時期に培われたのだと思う』。」
ということである。

これを読んで思わず唸った。
「やっぱりそうか!天才は自然豊かな環境の中にこそ生まれるのだ。
天才本人が言うのだから、間違いあるまい。」

私が家族を連れて島へ移住した当初、
東京の友人たちから、「ところで子供の教育は大丈夫なの?」とよく聞かれた。
「大きなお世話だ。海や山や村の中にこそ学ぶことがあるのだ。」
と威張ってやったが、残念ながら私は中村教授ではないので虚勢と受け取られたのであろう。
気の毒そうな顔をされたものである。
今、この新聞記事を手に気の毒そうな顔をし返してやりたいものだ。

自然の中に学ぶことが多いというのは、
科学の世界において、もっといえば産業界において、
自然界の様々なものの構造や動きをヒントにした素材や機械や構造物の開発が、盛んになっていることからもわかる。

自然豊かな場所に暮らしたり、遊んだりすることは、自然の中から何かを見つけだしたり、疑問を持って探求したりする目を養うことにつながるのだろう。

そんなことを考えていたら、ふと数年前に読んだ藤原正彦著の『国家の品格』の中の一節を思い出した。
天才を生み出す土地の第一の特質は「美の存在」であると同氏は述べていたのだ。
英国やインドには、天才を多く輩出する地域というのがあって、
現地に行って確かめた著者の印象では、それらの土地に共通して自然豊かで息をのむ様な美しい情景が広がっているというのである。

これは、自然に学ぶという視点とはまた違う切り口ではあるが、
やはり海、山、空の自然美にあふれた田舎にこそ優位性がある点に変わりはないであろう。

美しいものを見、何千、何万、何億年の時間をかけて形成された多様な自然に触れることは、感性と知性を大いに刺激し、活性化させ、研ぎ澄ますものに違いない。

ただ、それは中村教授や藤原氏にでも語ってもらわない限り、なかなか説得力を持たない。
因果関係を証明するものが何もないので、お役人にはまず相手にされないパターンだ。

そして、子を育てる親もまた、目に見えない自然や情景の効果に頼るよりも、
塾や参考書に期待するのが常なのであり、
島ではそんなことはないだろうと思いきや、むしろ島の方が中央志向が強く、
島を出て都会に行って「いい大学」、「いい会社」に入ることこそが飽くまで成功なのであり、
親の願いなのである。
本当は子供に近くにいてほしいくせに、である。

島は、島中が学び舎。
天才を育む山や海がそこにある。
それを証明したい。

それが実際に野山をかけて遊ぶ子供たちを増やし、
その子たちに天才になってもらうことでしか証明できないとしたら、
それをやるしかないね。

そのことで、教育のあり方も、価値体系も経済も変わるのだから。
日本と世界の未来が変わるのだから。

頼むぜ、未来のエジソンたち。

へっぽこ

企業は社会の公器

とは、松下政経塾塾主でもある松下電器産業(現パナソニック)創業者・松下幸之助の言葉として知られる。

昨年は、特に秋以降、大企業の倫理に関わる事件も相次いだ。
「なぜ、あんな優良企業の経営者が・・」
「なぜ、そんなことで・・」
いくつものなぜが巷に飛び交ったことと思う。

グローバルに展開する、めまぐるしい競争時代。
しかも目下世界的に経済が先行き不明の折、
本業の業績とは関係のないところで生まれた不祥事。
ちょっとした認識の甘さが本業の事業経営を揺るがしかねないことを知らしめた。

果たして経営者の頭には、タイトルの言葉は片隅にもあっただろうか?

収益の確保を最優先としなければ生き残れない厳しい時代。
しかし、そんな時代であればあるほど、「企業が社会の公器である」ことを、
強く認識することによって、企業はその存在価値と社会の中のポジションを見出し、
社会から必要とされることで生き残り続けることができるのではないか。

そんな幸之助パラドックスについて考えていたら、
一昨日の同窓会にパナソニック電工で技術職をつとめる、
高校時代大秀才であったK君と再会し、
パナソニックグループ社員の行動規範である「綱領・信条・七精神」の話になった。
企業版の「塾是・塾訓・五誓」である。(元旦のブログ参照)

以下に全文を紹介する。

綱領
産業人たるの本分に徹し 社会生活の改善と向上を図り 世界文化の進展に寄与せんことを期す

信条
向上発展は各員の和親協力を得るに非ざれば得難し 各員至誠を旨とし一致団結社務に服すること

七精神
一、産業報国の精神
産業報国は当社綱領に示す処にして 我等産業人たるものは本精神を第一義とせざるべからず
一、公明正大の精神
公明正大は人間処世の大本にして 如何に学識才能を有するも此の精神なきものは以て範とするに足らず
一、和親一致の精神
和親一致は既に当社信条に掲ぐる処 個々に如何なる優秀の人材を聚むるも 此の精神に欠くるあらば 所謂烏合の衆にして何等の力なし
一、力闘向上の精神
我等使命の達成には徹底的力闘こそ唯一の要諦にして 真の平和も向上も此の精神なくては贏ち得られざるべし
一、礼節謙譲の精神
人にして礼節を紊り謙譲の心なくんば社会の秩序は整わざるべし 正しき礼儀と謙譲の徳の存する処 社会を情操 的に美化せしめ 以て潤いある人生を現出し得るものなり
一、順応同化の精神
進歩発達は自然の摂理に順応同化するにあらざれば得難し 社会の大勢に即せず人為に偏する如きにては決して成功は望み得ざるべし
一、感謝報恩の精神
感謝報恩の念は吾人に無限の悦びと活力を与うるものにして此の念深き処如何なる艱難をも克服するを得 真の幸福を招来する根源となるものなり

企業行動とリーダー養成の違いはあるが、やはり「塾是・塾訓・五誓」と共通数部分も多い。

二宮尊徳の「報徳仕法」(拙著レポート「報徳国家」参照。)
などにも通じる。

K君の話では、電工マンは毎朝これを唱和する。
「塾是・塾訓・五誓」を毎日唱和したはずの僕がこんな感じなので、
毎日唱和することだけで血肉となるわけではないことはわかっているが、
「企業が社会の公器」であることをより具体的に行動規範にブレークダウンしたこの
「綱領・信条・七精神」を身に付けた企業が、
利益優先であることが当たり前である世の中にこそ、
そして俯きがちなこの日本社会と経済界にこそ、
その重要性を知らしめるべく活躍してほしい。

もちろん、パナソニックとその「綱領・信条・七精神」に限らず、
「企業が社会の公器」としての行動を体現する企業の勃興が。
今この時代にこそ必要とされているのではないだろうか。

グローバル化上等!閉塞感がどうした?

昨年は、ギリシャを中心に財政危機を要因とする世界的経済不安、
東日本大震災やタイの洪水被害によるグローバル企業の機能停止、
円高による日本製造業の海外移転など高度に効率化された
グローバル経済の影の側面が目立った年であったように思う。
さらにその経済不安が政治不安、社会不安へとつながり、
格差反対大規模デモやアラブの春と言われた政権転覆など、
政治も社会問題もグローバル化し、連鎖するということをまざまざと見せつけられた。

日本は、そのグローバル経済、あるいはグローバル化した社会の中で、
震災や円高とともに進む産業空洞化という流れもあって、
ひとり取り残されてしまったか、あるいは新興国の勢いに圧倒されてしまっているような
印象が持たれているように思う。

それが本当であるかどうかは別として、震災も円高も企業の海外移転も事実であるし、
世界的に経済不安も正常不安もまだ落ち着かないし、
デフレや失業や社会保障負担や財政悪化の問題はいまだ解決の糸口が見えないし、
メディアを通して見ても、街中を見渡しても、
この国の政治家も国民も、勢いも自信も夢も希望も失って、
なんとなく沈滞ムードの中に身を委ねている印象は否めない。
「閉塞感」というやつだ。

「失われた10年」が、知らないうちに「失われた20年」ということになっていて、
このままいけば、失われ続けてしまって、
失われてる時間の方が長すぎちゃって、
失ったんじゃなくて元々が何もなかったんじゃないかなんて話になりかねない。

でも、そろそろいいんじゃないか?
「ヘーソクカン」なんてB級韓流スターみたいな名前の感覚とおつきあいするのも。
この際、きれいさっぱり後くされなくサヨナラしたいものだ。

2011年は、日本人にとって忘れられない年だった。
悲しみに押しつぶされてしまいそうな年だった。
でも被災地のおばあちゃんが言っていた。
「なんてことない。私ら敗戦から立ち上がったんだから。」

そのおばあちゃんを筆頭に、日本人は、歴史の中で何度か危機的状況を乗り越えてきた。
悲しみに明け暮れ、閉塞感漂うどん底の今こそ、
魂見せて、なでしこジャパンよろしく世界をアッと言わせたいし、
世界をアッと言わせたいと思う人間をもっともっと増やしたい。

観光、教育、医療、福祉、農林水産業、エネルギー、IT・・・
たとえ田舎の小さな地域であっても、
世界を相手にできる可能性のある分野がまだまだある。
様々なプレイヤーをつなぎ、
産業を担う人材育成と、実地に即した研究と効果的なビジネス化を同時進行でやれば、
むしろ小さな田舎の方が可能性を秘めていると言えるものも少なくない。

瀬戸内海の小島だって世界を相手にできるんだぜ、
ってとこ見せてやるから待っててよ。

へっぽこ

同級生

三日坊主といいますが、
この言葉は「どんなアカン奴でも三日は持つやろ!」という意味合いのことを
言外に含んでいるわけで、
これまで、その「どんなアカン奴」よりアカン、一日、二日坊主が多かった私も、
「せっかく元旦から二日連続でブログ更新したんやから三日目もいこか」
ということで、さっきまで高校の同窓会、ベロンベロンではありますけれど、
今年はちょっと違うところを見せるために、パソコンのスイッチを押すものであります。

さて、その高校の同窓会というのは、4年に一回オリンピックイヤーにするというのが、
お決まりになっているらしいのだが、オリンピックが年々競技者数を増やしているとは対照的に、
回を追うごとに参加者数が減っている(そうだ)。

でもそんな過疎化著しい同窓会で、乾杯の音頭をとったO君は、
「人数の多い少ないやない。やることがすばらしい。」と言って、大いに会を盛り上げてくれた。

そのO君は、在校時、高校野球の伝統校である我が今治西高の野球部のキャプテン。
しかし、その伝統校が我々の学年、つまりOキャプテンの世代は、
おそらく後にも先にもないと思うのだが、夏の大会3年連続「県大会の」一回戦負けを喫した。
僕は野球部でも何でもないが、甲子園に応援に行けるかもしれないというのが、
高校進学にあたり楽しみの一つであっただけに悔しかった。
でも僕のような関係ない生徒が悔しいくらいであるのだから、
当の部員、ましてやキャプテンのOの悔しさはいくばくか測り知れない。

そんな悔しさ1000%のOキャプテンを、卒業以来久々に見たのはテレビ画面を通してであった。
5~6年前の高校野球甲子園大会。
一瞬目を疑ったが、その姿は相応に年輪を重ねているものの紛れもない同級生の「O監督」であった。
「こいつゴツイな。十数年たってリベンジしよった。」

その後、O監督に率いられ、我が母校は再び常連として甲子園の土を踏んでいる。
これは並大抵のことではないはずだ。

Oに限らず、そうやって信念を貫き通して頑張ってる同級生の姿を見たり聞いたりすることは
めちゃめちゃ励みになるものである。

そして、そんな頑張ってるやつらに、
「お前頑張れよ。応援しとるぞ。」と言われれば、これはとても名誉なことだと感じると同時に、
「いや、ほんま頑張らんといかんわ。」と不思議に自然と襟元を正してしまうものだ。

事実、この現在三日目坊主のブログ更新が三日目に突入できたのも
(四日目はまた別の理由で突入を阻止されるかもしれないけれど)
卒業以来のS君他数名に、「ブログ見てるよ、頑張ってるなあ。」
と言ってもらえたからである。
そりゃなんぼベロンベロンやゆうたかてやらんとバチ当たるちゅうわけです。

たとえ近くにいなくても、見てくれている人がたくさんいる。
一人じゃ何もできないかもしれないけど、決して一人ではないのだ、と。

同窓会は、旧交を温めるだけでなく、
たくさんの勇気と元気をもらいにいくもんなんやな、と深く深く感じた一日でした。
そして、自分も勇気や元気を同級生にお返しできる人間にならんと思った一日です。

幹事さん、参加した同級生のみなさん、ありがとう!
みんなの応援、無駄にはせんけん。

へっぽこ

ふるさとは遠くにありて想うものなのか?

へっぽこさんの新年二日目のメインイベントは、小学校の同窓会。
島ではないのだが、やはり田舎の学校だったので、
田舎の子らしい野性味あふれた悪さの記憶の数々を披露しあって盛り上がった。
当時ちょっと町の匂いのしたS先生にもお越しいただき、
昔弾き語りで聞かせてくれた唄もリクエストに応えて28年ぶりに皆で聞いた。

地元に残っている同級生は一部なのだが、
最近になって家族を連れて戻ってきたり、
あるいはそうしたいと思っている人が結構いることに驚いた。

「やっぱ田野(小学校区の地名)はええよなあ。」
と県内の中でも遠方で仕事をするH君がしみじみと言ったのが印象的だった。
それが自然豊かな環境を指すのか、よく見知った人のつながりを指すのか、
はたまた子供時代を過ごした土地に対する郷愁なのかはわからないが、
でもきっとこの年代の、いやこの年代でなくても、
育った土地を離れて暮らす人間がそんな風に思うものなのかもしれないと思う。

もちろん島の出身者の多くもそうであろうし、
島じゃなくても、ふるさとを遠くにありて想いつつ、ただ思い続けている人間が多いだろう。

数年前の同窓会にも来ていたS君は、当時バリバリの営業マンで、
並はずれた営業成績が自慢のタネであったのだが、
その恰幅の良い姿がうそのようにスリムに変身していた。
聞けば体を壊し、今は家族を連れて実家の農家を継いでいるとのこと。
以前のギラギラした眼光も魅力的ではあったのだが、
しかし瀕死の経験を経たのち、大地とともに生き始めた彼の表情は、
なんとも言えずすがすがしく、以前の何倍も魅力が増したように思えた。

彼は、誰の目にも魅力的に映っただろうか?
もしそうだとしても、彼のケースは特別なので世の中のメインストリームにはなり得ないだろうか?
僕は、彼のように屈託を取り払ったすがすがしい笑顔がもっともっと世の中にあふれたら、
どんなにかいいだろうと思うのだ。
もちろん生まれ育った故郷に戻ることが、その結果を生むとは限らないであろうが、
でも結構な確率で、みんないい笑顔になっちゃうんじゃないかと思うのだ。

いや必ずしもふるさとというものは心の在り方で、生まれ育ったところでなくともいいのかもしれないとも思う。
ふるさとのない人たちにふるさとを提供することも、
これからの地方の役割かもしれない。
この国に最高の笑顔を増殖していくために。

もちろん克服しなきゃいけない大きな課題が横たわっている。
仕事をつくる。
そして地方の小さな田舎に仕事をつくることができるし、やりたいとみんなが思う世の中にする。

てなわけで、島のチャレンジはまだまだ続く。

ゴールなんか見えちゃいないが、
必ずできるはず。
だっておいらが必ずできると思っているから。

成功の要諦は成功するまで続けるところにあるんだぜ。

へっぽこ

リニューアル、俺。

新しい年が明けた。
不惑の年で迎える新年はいつもより少し特別な気持ちがする。

実際は去年の正月もそんな気がしていたのかもしれないが、
人間いい加減にできているもので、
一年前のことはよく覚えていない。

だから学習しないで同じ過ちを繰り返す面もあるのだろうが、
いちいち覚えていないから、嫌なことも忘れてまた新たなスタートが切れる。

今年の正月も例にもれず、昨年一年間のことはなかったことにして、
雑念にまみれやすい人間が真っ白な初心に帰ることのできるめったにないチャンス
とばかり、「40回目の新しい私」に変身である。

初心といえば、私の初心は何であろう?
「島から日本を変える」という今の行動へつながる問題意識の原点、
それはおそらく東京での「自由と競争」の飽くなき探求に疑問を感じた瞬間であり、
八重山諸島で出会った共助と共生の「うつぐみの心」といったところであろうが、
松下政経塾の3年間に、幾度となく繰り返し口にし、耳に聞き、目に焼き付けた、
松下幸之助塾主の精神は、
今なお自分の行動と理念を下支えする背骨のようなものであるように思う。

そこで改めて同塾の「塾是・塾訓・五誓」を唱え、
日本と世界が困難の中迎えた新しい年を、
しっかり踏みしめて歩き、日本と世界に光をもたらす一矢を放つための糧としたい。

塾是
真に国家と国民を愛し
新しい人間観に基づく
政治経営の理念を探求し
人類の繁栄幸福と
世界の平和に貢献しよう

塾訓
素直な心で衆知を集め
自修自得で事の本質を究め
日に新たな生成発展の
道を求めよう

五誓
一、素志貫徹のこと
常に志を抱いて懸命に為すべきを為すならば、
いかなる困難に出会うとも道は必ず開けてくる。
成功の要諦は成功するまで続けるところにある。
一、自主自立のこと
他を頼り人をあてにしていては事は進まない。
自らの力で、自らの足で歩いてこそ他の共鳴も得られ、
知恵も力も集まって良き成果がもたらされる。
一、万事研修のこと
見るもの聞くことすべてに学び、
一切の体験を研修と受けとめて勤しむところに真の向上がある。
心して見れば、万物ことごとく我が師となる。
一、先駆開拓のこと
既成にとらわれず、たえず創造し開拓していく姿に、日本と世界の未来がある。
時代に先がけて進む者こそ、新たな歴史の扉を開くものである。
一、感謝協力のこと
いかなる人材が集うとも、和がなければ成果は得られない。
常に感謝の心を抱いて互いに協力しあってこそ
信頼が培われ、真の発展も生まれてくる。


一年前の正月のことはよく思い出せない私も、
さすがにこの「塾是・塾訓・五誓」は、
(何度もつまりながらではあるが)今なおほぼ完全に暗唱することができる。

てなわけで、塾主。
おいらが三年間、タダ飯食わせてもらっただけじゃないってところを、
そろそろお見せしなきゃ、ですかねえ。
このフレーズ、ただ覚えてるだけじゃ意味ないですもんねえ・・・。
ですよねえ、塾主。

新しい年の、幕開けです。

へっぽこ

« 2011年12月 | メイン

Copyright (C) しまの会社 All Rights Reserved