希望の島プロジェクト 仲間たちのブログ

2011年6月

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みちのくの風景より~気仙沼大島・陸前高田・大船渡

 シビックフォースで大島での支援を担当する簗瀬さんに連れられ、島内の被災状況や支援状況をご案内いただく。同団体は米国よりトレーラーハウスを輸入して、避難者や支援団体の住居として活用するために被災地に提供しており、大島にも14台が届いていた。今後は被災地の困りごとの一つである買い物需要に対応するための店舗としても活用を考えたいということである。
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 続いて、大島の災害対策本部の白幡本部長をはじめとする幹部の皆様に復興活動に関するヒアリングを行った。やはり国や県など行政の対応の遅さに対する不満や雇用への不安が強いようである。
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 午前のうちに大島を出発し、件のフェリーで気仙沼市街へ到着。ピースウインズジャパンの備中さんにご案内いただき、岩手県に入り、陸前高田の被災状況を視察した。ニュースで見聞きする通り、町が丸ごとなくなっている。広大な廃墟に圧倒されるばかりで言葉は出ない。
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 その後、先日弘前市議になったばかりの松下政経塾の後輩である菊池塾員(塾OBの意)が遠路はるばるかけつけてくれ合流した。
 大船渡では、魚市場の佐藤常務らにお話をうかがう。水揚げした魚を氷づめにするための大きな箱(名称は不明。)が津波によって、1000箱のうち9割を流されてしまったのだが、ピースウインズは、その箱(一つが6万円~10万円)の提供など、漁業再開へ向けた支援を実施している。
 すでに最盛期(年間5~6万t)の数十分の一であるが、一日5~6t程度の水揚げを開始しており、競りも始まっている。ただ、黒潮に乗ってやってくるカツオの漁で有名なこの港町もまた放射能汚染の問題が行く手に大きく横たわっている。
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 その後、陸前高田に戻り、ピースウインズジャパンが物資援助を行う仮設住宅を訪問。入居を数日後に控え、ボランティアの方が物資の運び込みを行っていた。
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 大西代表以下、ピースウインズの皆さんとはここで別れ、私と菊池塾員とは陸前高田市街ならびに気仙沼市街の被災状況をつぶさに見て回った。気仙沼など水産加工場が被害を受けた地域は、匂いとハエの大量発生が問題になっており、これからの季節、さらなる状況の悪化が懸念されている。
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 夕刻に再びフェリーで大島に渡った。この日は、避難所にもなっている大島休暇村に宿泊し、翌日の大島でのボランティア活動に備えるのだ。東京から来て二日間行動を共にした日本経済新聞記者の北角さんも引き続きご一緒することとなった。
 休暇村では、被災され、家を失い避難生活を送るお母さん方が、テラスでフキのスジ取りをしていた。そこに我々三人も飛び入り参加。ワイワイやりながら、慣れない手つきでフキを剥いた。
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 皆、避難所にお世話になってばかりでは申し訳ないから、自分たちでフキを採ってきて、食材として厨房で使ってもらおうということらしい。
 驚いたのは、その明るさ。皆、家や仕事場を一瞬にして流され、ご近所の知り合いが目の前で流されていくというすさまじい体験をしたにもかかわらず、しょんぼりしていても始まらないという意識のもと手を取り合って、笑い合って、前へ向いて歩み始めている。
 強いなあ。

みちのくの風景より~気仙沼

 震災が起きて三か月を経て、ようやく被災地へ足を運ぶこととなった。東北には知り合いも少なからずいて本当はもっと早くにかけつけたかったのだが、身内や親せきに不幸が続き、その都度延ばしてきた。もっとも駆け付けたからといって何が出来るわけでもないが、それでも行かぬままではいられなかった。
 しまの大学の協力団体であるピースウインズ・ジャパンの大西代表に連れられて、同じく大西さんが代表を務めるシビックフォースのスタッフの方々と現地で落ち合った。ピースウインズもシビックフォースも被災地に復興支援本部を設け活動している。
 初日は、シビックフォースの根木さん、松田さんに案内され、一関市千厩(せんまや)にある同団体の屯所兼事務所を拝見したのち、気仙沼へ移動。牡蠣の養殖家で、「森は海の恋人」のキャッチフレーズで水源の山に木を植えた畠山重篤さんのご自宅をたずね、三男でお父上譲りの活動家であられる畠山信(まこと)さんのお話をお伺いした。
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 信さんは、震災で家を流され、ご実家に身を寄せている。あの日、地震直後に、船を守るために沖合へ避難させようと出航したが、津波の第一波に船ごと突っ込んだ。船は大波を突き抜けたが、第二波には耐えられないと確信した信さんは海に飛び込み、近くの島(大島)へなんとか流れ着いたそうだ。
 「拾った命」と自らのことを言う信さんは、畠山家で営んでいた牡蠣養殖の筏も船も全て流されたが、その行動力で外部の諸団体もまとめて地域の復旧、復興のリーダーとなっており、シビックフォースも畠山さんをサポートしているのだ。
 外部の支援団体同士の縄張り争いや、支援をめぐる避難民と支援者、あるいは避難民同士の間に起こる軋轢など、マスメディアには流れない陰の部分があることを前線で取りまとめる信さんのお話から知ることとなった。特に今後は、避難者も仮設住宅に移り始め、一人の時間が増えることによる心のケアの問題も出てくる。雇用や収入に対する不安、目に見えぬ放射能への不安など数々の不安が横が横たわる。支援依存も問題になり始めている。支援者にも支援疲れだったり、支援熱が冷めたりという兆候が見受けられる。支援する側もされる側も、これからが本当に難しい時期に差し掛かっているという印象を持った。
 夕刻、畠山信さんの操船によって、シビックフォースが提供したという漁船で大島入りした。途中、震災時の気仙沼の火事(津波を受けたタンカーから流れ出した重油に火がつき町を焼き、海を伝って大島も焼いた。)により、座礁したまま燃えた何隻かの船が海から焼け焦げた半身を突き出していた。
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 大島は、本土との往復のフェリーが陸に打ち上げられ、孤立していたため、被災直後から、シビックフォース大西代表が動き、広島県の江田島の海運会社と話をつけ、カーフェリーを回航。地元大島汽船に貸与している。先日、国会の質疑の中でも、「民間団体がこれだけのことをすぐにできるのに、国はなぜこれほどまでに動きが遅いのか。」という野党からの攻撃材料の引き合いに出されていた。
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亀の手は鷹の爪!?

「亀の手」をご存じであろうか?
本物の亀の前足のことではない。
このあたりでは「鷹の爪」という。
移住してまもないころにその名前を聞いた時は、
赤唐辛子のことだと思ったのだがどうも話がかみ合わないので、
実物を見せてもらって驚いた。
なんともグロテスクな風体をしている。
そいつは通常磯にいて貝や岩牡蠣なんかと並んで岩にくっついて生きている。

もっとも実を言うと私はそれを以前から知っていて、
最初に見たのは愛媛県の南予地方の知人が持ってきくれたのを、
(同地方では「せい」と呼ぶらしいのだが)
仲間で食べたことがあったのだ。
そう「亀の手」は食べられるのである。

高井神島へ行った際、帰り際雨が上がったのを見計らって、
女性陣が磯へこれを採りに行った。
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私も少し採ったが、せっかくなので多めに頂いて帰って来た。
島へ移住してから、何度かもらっているのだが、
特にお味噌汁なんかにするといい出汁が出るのである。
見た目はグロテスクだが、身も結構しまっていておいしい。(貝のような味)

さっそく家内に味噌汁にしてもらって食べた。
あさりの味噌汁も最高だったが、こっちも甲乙つけがたし。
島暮らしは、なかなかどうして贅沢だ。
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神の棲む島

上島町は、小さな離島ばかりが集まってできた町。
ご想像の通り、全国の中でも特に過疎・高齢化が進行しているが、
その中でもとりわけ過疎高齢化の進む島がある。
現在上島町の有人島(住民登録のみの実質無人島を除く)の中で、
もっとも人口の少ない島(約30人)が高井神島である。

今日は、その高井神島に、草刈りのボランティアをするために、
愛媛県と上島町の呼びかけで約20名が島外から集まった。
昨年に引き続き二回目の試みだったが、
今年は暑かった昨年とは打って変わってあいにくの雨模様。
公民館や集会所の掃除をしながら様子を見ていたが、
小雨になったところを見計らって草刈り部隊が出動。
途中から雨足が激しくなったが、みなびしょぬれになりながら作業を続けた。
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作業後、濡れた作業着を脱いで替えのシャツに着替えたら、
公民館で、平均年齢72歳という地元のお父さん、お母さんを交えて懇親会。
受入れ団体である「元気な島づくり実行委員会」の提供で、
地元天然鯛を使った鯛飯とゲンチョウやデベラなど地魚の天ぷら、
鯛のすまし汁がふるまわれた。
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同委員会の佐伯眞登会長は、高井神島も属した旧魚島村(現上島町)の元村長で、
村長時代は、村民募集など移住施策、高齢化対策、教育施策など様々地域化政策によって、
たいへん先駆的なリーダーとして全国的にも知られ、
全国離島振興推進員連絡委員会の会長も務められた。
私の移住当初より、熱くご支援いただき、「しまの会社」にもご出資いただいている。
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(佐伯眞登会長あいさつ)


今回のボランティア活動には、
松山市の企業で「Zボイラ」で全国的にも有名な三浦工業のみなさん(6名)も参加されていた。
同社は、水処理設備など環境にかかわる事業も手がけていることもあり、
環境活動や地域活動に取り組む姿勢が強いようである。
こんな風に大きな企業が小さな地域が出会うことで、
両者にとって新しい価値の創造につながるだろうと私は思っている。
それは「しまの大学」の目指していることの一つでもある。
三浦工業のみなさん、ありがとうございます。
これをきっかけに、また島へ遊びに来てくださいね。
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おいしい鯛飯をいただきながら高井神島のお母さん方にお話をお伺いしたところ、
買い物(島に店はなく、定期便は1日4往復)と医療(島の診療所には魚島から週に一度医師がやってくる)が、
一番の困り事だということであった。
またこんなに離れた小さな島にもイノシシが出るようになったという。
島の神社にも、イノシシが怖くてお参りに行けなくなったそうだ。
「神」の名のつく島であるのにもかかわらず、だ。
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定期船に乗り、我々は高井神島を後にした。
「来年も必ず来てよ。」と別れ際に、高井神のお母さんの発したひときわ力強い声が、
あたたかく、でもとても切なく心を打って、目頭が熱くなった。
みな船が見えなくなるまでずっと手を振り続けてくださった。
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ホタル舞う里。

久司浦からちょっとあがった山道沿いの竹やぶに、
ヒメボタルを見に行ってきました。
島へきて4回目の夏(移住してまる三年になりました。)が来ますが、
こんなにたくさんの蛍を見たのはじめてです。
何百匹といるようでした。
じっとしてると、ごく近くを舞ってくれます。
写真ではほとんど見えませんが、星屑を散りばめたように瞬いていました。
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今日のもらいもの・その三

やっぱり磯遊び・山遊びの達人、浜本さんに頂いたあさり。
尾道でとってきたのだそうです。
弓削島にもかつてはたくさんあさりがいて、
夕食のお味噌汁用に浜で掘ったら、すぐバケツ一杯になったそうです。
今はめっきりですが、
弓削島では、あさりを呼び戻す活動をするおいちゃんたちが大勢います。
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かわいいさざえのおまけつき。
浜本さん、ありがとうございました。


今日のもらいもの・その二

磯遊び、山遊びの師匠、大谷の浜本さんに頂いたたけのこの煮物。
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今日のもらいもの

おとなりの島さんに頂いた紫玉ねぎ
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夕日コレクション

わが家のある久司浦(くじら)の谷(と住民は集落のことを呼ぶ)を望む。
108軒ある弓削島北端の集落。
島の中でも高齢化の特に高い地域だ。
空き家も多い。
でも、結びつきと集落愛はひときわ強い。
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中村時広知事ご一行様、ご来店。

本日は、中村愛媛県知事が上島町の視察で、
町長や県・町の職員さんとご一緒に、Cafeに寄ってくださいました。
ご注文は、「摘み菜ランチ・スペシャルバージョン」。(写真撮り忘れてしまった・・・。)
お時間ない中、一口残らず召し上がっていただき、
島の特産品も自ら選んで、沢山お買い求めいただきました。
そこには決してパフォーマンスではない地域に対する愛情を感じました。
次は、摘み菜を実際にやってもらうしかないな、とひそかに思いながら、
あわただしく去っていく姿を見送りました。
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(右から2番目が中村知事。同4番目が上村町長。)

花と音楽の会

今日は、生名島で上島町文化協会交流事業
「第36回 花と音楽の会」に行ってきました。
町内の様々なグループが楽器演奏(ピアノ、琴、バンジョー・・・)や
コーラス、フラダンスやリズム体操を披露。
その会場内では花をテーマに、
生け花をはじめ、折り紙や絵、盆栽などなど、
子供からお年寄りまでの作品がズラリ。
生名橋が開通して、弓削島からも沢山お客さんがいらしてました。
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とはいうものの、実は私は会場前の広場で特産品販売をしていたので、
中の様子はちっとも分からずじまい。
でも救いの神あり。スピーカーという文明の利器が中の音楽を外に届けてくれたので、
思いのほか楽しめました。

花も音楽も、共に心を癒し、明るく元気にさせてくれる不思議な力を持ってますね。
花と音楽を結びつけ、みんなのはつらつとした発表の場を36回も続けてきたなんて。
なかなかオツなもんですなあ。

なんて、ほっこり気分で弓削島に帰り、カフェに立ち寄ったところ、
庭から裏のがけの上を見上げると、
いやはや、あるではないですか。ここにも花が。
それは、ご近所さんが育てた、きれいなバラのアーチでした。
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テラス席でお茶をいただきながら、
まるで天国への階段の入り口のように、
空に映える鮮やかなピンク色のバラたちをたっぷり堪能させていただきました。
たいへん得した気分になりました。
素敵な癒しのひと時をありがとうございました。

夕日コレクション

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上弓削・高浜八幡宮の前の浜から因島方面を望む。
ここの浜は地元有志がボランティアで清掃して、いつもきれいです。

夕日コレコション

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今年から、しまの会社やしまの大学、弓削の荘の事務所になっている
工房(製塩所と加工所)の2階の窓から見た夕日です。
久しぶりに夕日をゆっくり眺めました。

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瀬戸内のDr.コトー

出会いとは奇異なものである。
今日はたまたま打ち合わせがあって、カフェで過ごしていたら、
見かけない都会風の男性がお茶を飲みにいらした。
「どこからですか?」と尋ねると、
「百島(ももしま・広島県)です。でも神奈川から移住したばかりなんです。」とおっしゃる。
「へえ。じゃあ、島移住者仲間ですね。」てな具合で、詳しく聞くと、
なんでもご友人が医師で、百島の診療所の先生として同じく神奈川からやって来たのだが、
その事務関係を手伝うために行動を共にしたのだそうだ。
これまでの仕事は全く畑違いなんだとか。
その方は漆原さん。
ご友人の医師は次田さんとおっしゃって、
弓削島には百島から二人で船を駆ってやって来た。
歯科を除けば弓削島唯一の医療機関である秦医院に、
次田医師があいさつに来たのだそうである。

そのうちに、件の先生が汗をぬぐいながら現れた。
予想以上にお若い先生なのにまず驚いた。
でもそれ以上に驚いたのは、
てっきり、広島県か尾道市の募集かなんかに手を挙げてやって来たのかと思っていたら、
(だとしても素晴らしいことなんだが)
なんと、自ら離島の医療問題に目に向け自らの発意(+百島の活動家の熱意)によって、
リスクを顧みずやって来たのだそうだ。
やむにやまれぬ大和魂ってやつだ。

世の中には奇特な方もいらしたもんだと感心しながら、
「先生も大変でしょうけど、先生は自分の夢だからいいとして、
付き合ってやって来た漆原さんはもっと大変ですよね。」
なんて、いつも自分の家内に向けて発せられ耳の痛い思いをしている言葉を
ここぞとばかりに応用してみた。

次田医師と漆原事務局長、看護師さんと3人体制でのスタートだそうで、
百島を起点に様々な離島へ船で出かけて行って、往診をしようと計画中なのだとか。
上島町の島々をはじめ、瀬戸内に点在する小離島には、
病院に行くために難渋したり、そのために住みなれた島を離れざるを得なかったりということが、
たくさんある。
(以前、ふくふくの会の紹介でも述べさせていただいたが、)本当はみな島で死んでいきたいと
思っているにもかかわらずである。
そんな人たちの思いにこたえたい、と次田医師は語る。

その診療船まで二人を見送った。
小さく愛らしい、でもクラシックで重みもあるその船に、医師と看護師二人分のバイクを乗せ、
いろんな島の家々をバイクで往診するのだそうである。
なんでも次田医師は飛行機免許も持ってるそうで、
ゆくゆくは水上飛行機で各島を回るのが夢なのだそうだ。

百島診療所のボートは、大きく弧を描いて弓削島から遠ざかった。
白波を蹴って行くその姿は、何やら使命感と希望に燃えたように颯爽としていた。
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(左から漆原事務局長、次田医師)


Come on!! Join us.

僕が小さかったころとは違い、
今は、田舎であっても、中学生や高校生、
さらには小学生も、もっと驚くべきは、息子のような保育園児までが、
生の英語に触れる機会がある。
ALT(Assistant Language Teacher)という制度のもと、
ネイティブスピーカーが英語の先生として、地域に赴任し、
学校で英語の授業を行う。
なんていう説明をしなくても、制度ができてもう25年だそうだから、
ALTの先生に英語を教えてもらったなんてことは、結構普通のことなのかもしれない。

ともかくもそんなわけでこの島にもALTの先生が住んでいるのだ。
彼女はバービー先生。(それがfirst nameなのかsurnameなのかも、spellも知らないが。)
背の高い金髪美人だ。
昨年から赴任していて、たまに自転車に乗ったり歩いていたりするのを見かけるが、
この小さな島では彼女は圧倒的に目立つ。
名前の通りバービー人形(100/100スケール、いや120/100スケールくらいか)
が歩いているような光景なのだ。
ただでさえ目立つのに、夏は浴衣で現れたり、祭りに着物で現れたりするために、
その華やかさによって島中の男たちを虜にしてしまったようだ。
(残念ながら僕はそれを見ていないのだけれど。)
出身は、アメリカのどこかだ。

そのバービー先生が、町の企画で、
島の人たちを集めて英会話教室をしているという噂を聞きつけた。
そして、どうやらそれが毎週水曜の夜であるという情報を最近入手した。
そこで、「これからは島もグローバルにいかないといけない。」
などと適当な理由をつけ、さっそく参加してみることにした。
決して、背の高い金髪美人が目的ではない。
いやほんと。

予定の時間になっても、会場の公民館には誰も現れない。
それどころか鍵がかかっている。
「ガセネタをつかまされたか、やっぱり動機が不純だとロクなことはないな。」
と思っていたら、ほどなくポツポツと集まり始め、
そのうち件の金髪先生(<金八先生みたいに言うな!)もやってきて、
「いつもは40分(19:40)になっても来ないのに・・」
と流ちょうな日本語でぶつぶつ言いながら鍵を開けた。
時間は、「Yuge Time で。」なのだそうだ。

始まってからも人は増え、10人の生徒が、先生を囲んだ。
20代から70代まで多様な顔ぶれだが、女性が多い。
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電話での話し方がテーマだったのだが、
皆さん熱心だし、英会話もお上手なことに驚いた。

この島に来て思うことは、向学心のある方が多く、
進取の気風に富んでいるということであり、
それが俄かにそうなったのではなく、
長年かけて醸成された感じを受けることだ。
やはり110年の商船学校の歴史が関係しているのであろう。
長年沢山の人材を全国から受け入れ、
海外へ排出し、世界の文物を持ち帰ってきた歴史は、
瀬戸内の小離島に独自の文化を作り上げたのだろう。
元々がインターナショナルな土壌を持つ島というわけだ。

そんなことを考えながら錆びついた頭と絡まる舌を駆使(苦死?)して、
島イングリッシュを繰り出していたら、
生徒である山下さんのお姉さんで、教室の近所に住む中塚さん(摘み菜のエキスパートでもある)が、
手作りの柏餅を差し入れてくれた。
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「昔はみんな作ってたのよ、山から葉っぱ採ってきて。」
なんてわいわい言いながら、ティーブレークに突入。
英会話が目的なのか、お茶が目的なのかわからないような雰囲気の中で、
島の英会話教室も悪くないななどと笑みを浮かべつつ、
誰よりも新米生徒の僕は誰より先に柏餅に手を伸ばしていた。

来週も行ってみるか。

金髪美人が目的ではない。
いや決して。

へっぽこ

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