希望の島プロジェクト 仲間たちのブログ

2009年5月

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ふくふく

今月、ずっと紹介したくて、気づいたら終了間近になってしまったのだが、
今、島で、とてもハートウォーミングな写真展が開催中だ。http://fukufukusan.at.webry.info/200905/article_1.html

主催は、ふくふくの会。
島の高齢者向けに、デイサービスや老人ホームを営む、
NPO法人だ。

紹介が遅れたのは理由がある。
ふくふくの会については、時間をかけてゆっくり、たっぷり紹介したかったのだ。
今回はどうしても期間中に書きたかったので、
それはあきらめて、簡単に紹介する。

代表の竹林さんは、まだ若い。
数年前まで行政の職員だったのだが、
安定の道を断って自ら職を辞し、高齢者向けのサービスを数名で始めた。
最初はお弁当づくりからだったそうだが、
現在の事業に移行して、徐々に利用者もスタッフも増えた。

僕は島に来てしばらくしたころふくふくの会を知り、
島のエリートといえる行政職員を辞め、
NPOという民間の力で高齢化する島の福祉に取り組んでいるという話に、
感銘を受けたものだが、
ある機会に、ふくふくさんを訪れ、竹林代表にお話を伺って、
より一層の感動を覚えた。

島にはもともと町による高齢者福祉施設・サービスがある。
竹林さんは、行政にいたころ、まさに福祉を担当していたのだが、
その中で行政による福祉サービスの限界を感じたという。

子や孫の世代が仕事を求めて都会へ出て行くことの著しい島では、
高齢者は自分の面倒を自分で見るか、
何らかの福祉サービスに頼るか、
島を出て都会の子供を頼るかしかない。

そうして、パートナーを失って独り暮らしになったり、
介護が必要になったりしたおじいちゃん、おばあちゃんが、
住み慣れた島を離れる。
できれば最期までこの島に住み続けたいと
思っているにもかかわらず、である。

竹林さんは、そんな矛盾をなんとかしたい、
なんとか生まれ育った郷土で笑って最期を迎えさせてあげたい、
そして行政サービスの手の届かないサービス、
利用者目線のサービスを提供したい、
という思いで「ふくふくの会」をスタートさせたのだ。
(僕の理解が正しければ)

目のきらきらした島の子供たちが、
大好きな島を出て行かなくてもいいようにしたい、
という思いを持っていた僕は、
竹林さんの志に、心と身体が大きく共振した。

ふくふくさんは、僕んちへ帰る道の途中にあり、
ごくたまに「お邪魔かな・・」と思いつつ、遊びに行くことがある。

そこでは、スタッフも、利用者も、
みんないい顔をしている。
もちろん笑顔が沢山なのだが、笑ってなくてもいい顔なのだ。

今回の写真展は、4回目の企画だそうだが、
そんな「いい顔」と、「いい顔の生み出される舞台裏」がダイジェストで見られる、
貴重な機会だ。

僕の知る限り、ふくふくに集うおじいちゃんやおばあちゃんやご家族は、
みな「ふくふくさんがあってよかった」と異口同音に言うのだが、
その理由が、この写真展を見るだけでも分かる気がする。

きらきらと静かに輝く日常を切り取った写真と、
何でもないのに力強くリズム感のある言葉が並んでいる。

虚飾を排したありのままの人間の魅力が伝わってくる。

Fukufuku01

Fukufuku02

Fukufuku03

Fukufuku04


おふらんすざんす!

来年の夏、この弓削島の公用語はフランス語になる!?

2010年7月18日(日)~31日(土)、
「日仏交流展」という、その名の通り日本とフランス両国から、
現代アート作家が作品を持ち寄る芸術イベントが、
なんとこの瀬戸内海の小島・弓削島で開かれるのだ。

しかも、これを企画運営するのは、
民間ベースの実行委員会だ。

他でもない、「しまの会社」の大立役者・りっちゃんこと、
村上律子さんが長年培ってきた地域活動のネットワークが、
今回もまたフル稼働する形で、
この大イベントが実現する運びになったのだ。

きっかけは、昨年。
奄美大島の田中一村美術館で、
当イベントと同様のイベントが開催された。
律子さんのご友人で弓削島ファンでもある
東京の歴史環境計画研究所所長・秋山邦雄先生
(当イベントのプロデューサーであり、写真家でもある)が、
そのイベントの主催者に名を連ねていた関係で、
先生に連れられて、奄美大島を訪れた。

イベント自体は、それ限りの予定だったのが、
なぜか律子さんが戻ってきて言うには、
「フランスの方々が次回弓削島でやろうと言っている。」

奄美で何があったかは知らないが、
フランス人(有名なギャラリーが募集しているが、貴族ばかりとか・・)を、
その気にさせてしまったらしい。
民間ベースでそれをやろうと思い、それを実現してしまうところが、
村上律子というスーパーウーマンのスーパーたる所以で、
いつもながらに度肝を抜かれてしまう。
実に、トレビアーンな感じだ。

それはさておき、その後着々と準備は進められ、
本日、キックオフ集会が催され、
実行委員会の立ち上げがなされた。

夜の時間帯にもかかわらず、
島内外から関係者(およびメディア)が50人以上集まった。
そして大々的に発表されたこのアートイベントのテーマは「Le Sel」。
日本語に訳すると「塩」となる。

なぜ「塩」か?

実は、弓削島周辺は、製塩の歴史が非常に深く、
しかもそれがとても由緒正しい。
中世には平安末期に後白河法皇の塩の荘園となり、
後に京都・当時に寄進されてからは、
鎌倉期から室町期に至るまで、東寺の塩の荘園として、
いわば当時のトップブランドとしての塩を生産・献上し続けた。

その栄光は、国宝である東寺百合文書に、
数多く「弓削島」の名が記されていることを通じても、
歴史に燦然と刻まれており、
そのことによって、昭和56年に現皇太子殿下が研究のため、
弓削島を訪れているほどだ。

しかし、中世にそこまで塩のブランドとして確立される背景には、
もっと深い歴史があるはずだ。
と、その点に目をつけたのが、今回、統括実行委員長をつとめる、
愛媛大法文学部教授の村上恭通先生だ。

村上先生は、古代の製塩、製鉄などの遺跡発掘・研究の、
全国的(世界的といった方がいいか)権威であり、
中国、モンゴル、ロシア・・・など海外の様々な地域で
遺跡発掘を認められている数少ない日本人考古学者なのである。

その村上先生が、一昨年来、
弓削島近くにある豊島(とよしま)で古代遺跡を発掘しており、
昨年の発掘調査では、なんと古墳前期(1700年前。卑弥呼の時代!)の
祭祀用の製塩遺跡を発見してしまったのである!
(同時に、製鉄の痕跡も発見された。)

Murakamiyasumichi

これは、製塩の歴史を変えてしまうほどの大発見なのだそうだが、
その凄さがどれほどなのか素人の僕にはおおよそ検討もつかない。
ただ、これだけはいえる。
豊島を含む弓削島周辺の島々にはとても長く重厚な歴史が
脈々と受け継がれているのだ。

仲代達矢のような容貌のダンディ考古学者・村上恭通先生の
話を始めると、いつまでたっても終わらないので、
またの機会としたいと思うが、
とにかくその発掘の話題一つとっても書ききれないくらい、
ここらの島々や、島で活動する人々には、
「えっ、こんなすごいこと、なんでそんなアッサリなん?」
と思わずツッコんでしまいたくなることが多いのだ。

今回は、一つの芸術イベントを媒介に、
村上先生を通じて愛媛大、
秋山先生を通じて東京、そしてフランスのネットワーク、
そして律子さんが音頭を取って、
島の様々な活動グループが結集する形となっている。
その中には、これも島の歴史に大きな足跡を残してきた
弓削商船高専も名を連ねている。

塩という島の歴史と文化、商船高専という大きな資産、
そして人のネットワークと営み、
これら、島のそこここで、静かにひっそりと輝いている資源を、
今回のように住民主導で一つの太い糸に紡いでいく作業の
ダイナミックさといったらないではないか。

こんな動きをもっともっと出来たらいい。
そこに、島の内から外から、もっともっと色んな人、活動を
混ぜ込んでいくのだ。
やがて島の内から外から、
みんなが一緒になって島を盛り上げていっているんだという
ライブ感が醸成されていくことだろう。

そして、そんなことが全国の色んな地域で繰り広げられたならば、
ジャポンはもっとトレビアンだ。
フランス人もびっくりすること請け合いだ。




プレイボール。

プロ野球は交流戦がスタート。
生名島には、先日マンダリンパイレーツが来たばかりだが、
今、弓削島は、ソフトボールが熱い。

弓削島には、ソフトボール同好会リーグが存在し、
一部、二部の2リーグに分かれて(合計8チーム、くらい。。)
5月から各チーム週1試合くらいのペースで、
白熱した試合を繰り広げる。

僕も、地元久司浦(くじら)地区の何人かをはじめ、
知り合いが多く所属する「こざかな」というチームに加入した。
「こざかな」は、名前の通り(?)漁業関係者がメンバーに多く、
これまた名前の通り(?)弱小チームで、
いつも二部リーグの最下位をぶっちぎりで独走している。

勝ちにこだわらず、「楽しく」プレーすることをモットーにしている。
何割かは負け惜しみが含まれているかもしれないが、
でも半分以上本気でそう思ってるのが伝わって来るチーム。
それが「こざかな」だ。

今日は、その「こざかな」の公式戦第二戦。
ダッカーズ戦だ。
第一戦のファイターズ戦は約30点差という、
ラグビーの試合と見まがうばかりの完敗ぶりだったそうだ。

第一戦に参加できなかった僕は、
今日初めて、グラウンドの土を踏んだ。
ユニフォームもグラブもなく、その上試合直前に滑り込んできた僕は、
今日は、まあ代打で出られればラッキー程度に思っていたのだが、
いきなりグラブを借りてのスタメン出場となった。
(というくらい、いつも選手の数がぎりぎりなのだ。)

8番センター。
4打席立って、3打数2安打3出塁。
それが今シーズン最初の試合の僕の成績だ。
スコンとぬけるクリーンヒットと呼べるやつは、まだない。

試合は、17対5で相手チームの圧勝。
それでもその相手チーム、ダッカーズは、
「こざかな」が唯一勝てる可能性のあるチームだというのだから、
今シーズンも、いつもの定位置キープはほぼ安泰だ。

試合は大差での敗退だが、
どうもこのチームには負けたことを悔やむ風もなく、
明るい笑顔で夜のグラウンドを後にする。

それがいい事かどうかは置いておいて、
このチームには、
「今日は駄目だったけど、また次は次で楽しもう。
だから次回もみんなで集まろう。」というやわらかな空気がある。
それがチームとしていい事かどうかは知らないが、
でもまた来ようと思えてしまうのだ。

いい事だろうとそうでなかろうと、
「こざかな」的な場所が世の中にはもっと必要なのかもしれない。

Kozakana

いよっ!食談会。

愛媛新聞社が「いよ食談会」という特別講座を毎月開催している。

毎月同社の媒体を使って募集をかけ、
県内の様々なレストランに集まり、
県下の色々な活動家や識者を招き皆で話を聞き、
その後で、県内産の季節の食材をテーマに、
会場となるレストランのシェフが腕を振るった料理に舌鼓を打つという、
何とも耳と舌の肥えそうな会なのであるが、
今回、なぜか僕に、講師をとの声がかかった。

知識も経験も豊富な皆様の前で、
始まったばかりの僕の活動や、まだまだ荒削りな僕の志について
お話しするのは少々気の引けるところもあったのだが、
これも勉強と思い、遠慮なく胸をお借りした。
結局いつもどおり思うがままにしゃべってしまい、
気がついたら時間をオーバーしていた。
さぞかし、皆さんのお腹をすかせてしまったことだろうと思う。
(皆さん、すみませんでした。)
Iyoshokudan02

ご参加いただいた皆さんは、
島の実状を身近に知るという方はほとんどいらっしゃらなかったが、
経済成長と引き換えに社会が失ったものがあるということを、
感じていらっしゃる方は多いように見受けられ、
この青二才の無謀ともいえるチャレンジに、
沢山の方からエールをいただいた。

ちゃっかり、島の食材を宣伝して、注文表まで配ったところ、
うれしいことに、早速何人かの方が「着いたら一夜干し」
(鯛や鯵などとれたての魚を活〆にして開き、
旨みを逃さず水分だけ抜く特殊な包装でその日のうちに発送。
島からの物流時間を逆手に利用して着いたら美味しい開きが
出来ているという、逆転の発想が産んだ漁師さんとのコラボ商品。)
など旬の島の食材をご注文いただいた。

「島へ行ってみるよ。」という声までかけていただき、
お腹も胸もいっぱいの食談会であったが、
島にかぎらず、
大量生産、大量消費の生産・流通システムに乗らない
多くの小さな地域は、
差別化というマーケティング的視点も必要かもしれないが、
それ以上に、このように共感し、応援してくれる仲間を
少しずつ増やしていく作業が、肝要なのではないかと感じる。

近郊の都市圏にも、意外に多くの応援団が
見つかるのではないだろうか。

Iyoshokudan04

(今日の会場は三越松山店「サロン・ド・リヨン」。
 シェフは、三越松山店総料理長 長井孝二郎さん。
 料理テーマは「新緑の伊予路」でした。
 写真は一皿目「瀬戸内平目のポワレと松前町産無農薬野菜の飾り盛り」。
 まこと美味なるものでありんした。ご馳走様でした。)

四国・九州アイランドリーグ、だっちゅ~の!

みなさんは、プロ野球の国内リーグが、
セントラルリーグとパシフィックリーグだけではないことをご存知だろうか?

四国の方は大方ご存知であるはずだ。
北信越や関西方面の方、そして九州の一部の地方の方にも、
まあまあホットな話題かもしれない。

現在、国内には四国・九州アイランドリーグ、
ベースボールチャレンジリーグ(’07年、北信越でスタート)、
関西独立リーグ(’09年スタート)の
3つの独立リーグが存在する。

その先鞭をつけたのが、四国・九州アイランドリーグの前身、
四国アイランドリーグ(’05年スタート)である。

設立のニュースが流れた当時、僕は東京で働いていたのだが、
四国という保守的な土地柄を知っているだけに意外であった一方で、
同時に何か爽快感のようなものを覚えた。

創設者である元西武の石毛宏典氏の、
設立にかける熱い思いとその奔走ぶりに心打たれたこともさることながら、
セ、パ両リーグという動かしがたい奔流の向こうを張って、
というより、そんなことはもうどうでもよくて、
四国というローカル感たっぷりのエリアだけでリーグを作ってしまおうという、
なんともマイペースで、お茶目で、無謀な、でも見上げた心意気の、
そのチャレンジに、なにやら溜飲を下げるような思いを抱いたのである。

運営は決して順風満帆とはいっていないようであるが、
昨シーズンからは、エリアも九州一部地域(長崎、福岡)を巻き込んで拡大し、
認知も随分深まってきて、「地域に根ざす」という初期の志を
徐々に現実のものにしているように見える。

さて、その四国・九州ILの試合
「愛媛マンダリンパイレーツVS香川オリーブガイナーズ」が、
本日、上島町は生名島(いきなじま)の
スポレク公園グラウンドでとりおこなわれた。

あいにくの雨模様で、せっかくの海を見渡す開放感たっぷりのグラウンドも、
今日は寒々として見えたが、そんな状況下でも結構な観客が集まってきていた。

Pirates01

遠路はるばる島に集まったファンに申し訳ないと思ったのか、
決して小雨とは言えない悪コンディションの中、選手たちは
9回裏まで手を抜かずにプレーしてくれた。

結果は残念ながら、5-1でパイレーツが完敗だっちゅうの(古っ)。
でも設立当時からずっと見たかった四国・九州ILの試合を
上島町で見ることができて、とても嬉しかった。

Pirates02

野球というスポーツ、というよりも文化は、
「瀬戸内少年野球団」に代表されるように、
瀬戸内の島の空気にとても馴染むような気がする。

そしてまた、今回の会場となった生名島のスポレク公園は、
宿泊施設や体育館、プール、ジムなど屋内施設も充実しており、
なおかつ前述の通り、海を見渡す抜群のロケーションで、
合宿やイベントには、もってこいの施設のように思える。

「島と野球」、「島で合宿」など、魅力あるコンテンツの鉱脈が、
ここに掘り出されずに埋もれているという感じを受けたのだが、
しかし、なかなかそれらを器用に打ち出すことができないのも
また島の良さである、という思いも一方ではある。

とりあえず、会場に石毛氏(現マンダリンパイレーツ顧問)を見つけたので、
岩城島のレモンポークを食べてもらいつつ、
「晴れてたら最高ですから、また来てください。」
と売り込んでおいた。
(強引な攻勢に嫌な顔一つせず対応いただきました。
石毛さん、やっぱりいい人でした。ありがとうございました。)

Ishige

Pirates04_2

(なんと、「しまの会社」も協賛企業に!)

しまあそび ~タケノコのこのこ

島には色んな遊びがある。
遊びといっても、ゲームとか遊興施設とか、
はたまたネオン輝く夜の遊びとか、
そういうものとは縁遠い。

そういうスイッチを押せばONになったり、
お金を払えば楽しめたりという簡便さはなく、
時間や労力を要するものが多く、
その時々によってうまく行ったり行かなかったりする
気まぐれなものが大半を占める。
海とか山とか自然を相手にしているから、当然そうなる。

その代わり、お金はかからないし、
うまく行けば海の幸とか山の幸とか実益が伴うのである。
その点でいえば遊びといっても仕事とか暮らしという領域との
境界はきわめて不明瞭だ。

しかしながら、その営みには文字通り「遊び」があるのである。
楽しいのだ。
それらにどんな労苦が伴おうと、
いやむしろ汗をかけばかくほど、
心地よい開放感を覚える。
大地や海や空の呼吸と同化するからなのかもしれない。

そんな「しまあそび」をこの先、皆さんに紹介していきたい。

まずは「タケノコ堀り」だ。

「お薬師さん」の日に、前田地区長さん宅のお接待で、
お接待の手伝いに来られた大谷地区の浜本さんが、
タケノコ堀りの名人だそうで、
(本人によると見つけるだけで掘らないので、
正確にはタケノコ探しの名人)
缶ビールの勢いも手伝って、翌日の連休最後の休日に、
タケノコ堀りに連れて行ってもらうことになった。

翌朝、家族を連れて大谷を訪ねると、
年の離れたお姉さんとお二人で、
つるはしの付いた鍬と木挽きを持って、
待ってくださっていた。

島にタケノコの生える場所、つまり竹林は豊富にある。
元畑だった場所に竹が繁殖してしまったのだ。
これは厄介な問題なのだが、
とりあえずその問題についての議論は置いておいて、
竹の繁殖を防ぐ意味でも、
この日ばかりはタケノコ掘りに専念する。

島に生える竹は、孟宗竹、真竹、破竹などいくつかの種類があって、
それぞれに取れる時期が違うそうである。
この日連れて行ってもらったのは、孟宗竹の竹林だが、
孟宗竹のタケノコは12月ごろから取れ始め、
3月ごろがピークで、そろそろ終わりなのだそうである。

タケノコ堀りは、ひょっこり顔を出したのを
掘り起こすのかと思っていたら、
ある程度出てきた奴は、
アクがつよかったり、かたかったりするので、
まだ顔を出してない奴を探し当てるのだそうで、
そんな離れ業をやってのけるところに、
浜本さんの長年培ってきた腕のすごさがあるわけだ。

具体的には、地表のひび割れを見つけるという、
言葉にすれば簡単なのだが、
タケノコがまさに外の世界に出ようとする
生命のメッセージともいえるそのひび割れを
広く薄暗い竹林の中で見つけ出すことは、
素人の僕には到底できるはずもなかった。
(息子の玄は、なぜか適当に足元を掘って
 タケノコを見つけ出していた・・・く、悔しい・・・)

僕はただひたすら、浜本さんの指差した場所に行き、
浜本さんのお姉さんに手伝ってもらいながら、
必死にタケノコを根元の場所まで掘り返すだけなのである。

それでもタケノコがどんな風に生えてくるのかとか
数日で大きく育つその生命力のすさまじさとかいうものに
感心しながら、土にまみれて流す汗は、
とても心地よいものだった。

三人(+α)の共同作業により、
二時間ほどで沢山のタケノコが採れた。
すべて案内、指導してもらった上に
多すぎるくらいのタケノコをいただいた。
Cafe とお世話になってる方におすそ分けして、
残りを家で、早速タケノコご飯にして食べた。
そのやわらかな触感と風味もさることながら、
島の豊かさに包まれて、
この上のない幸せを味わうことのできる
極上の食卓であった。

Takenoko01_3

Takenoko02

Takenoko03



お薬師さん

僕の住む久司浦(くじら)地区には、
海に向かって集落の広がるちょうど扇の要にあたるところに、
端正なたたずまいのお寺がある。
臨済宗東福寺派の東泉寺といい、
歴史の深いお寺であるらしい。

東泉寺では、昔から潅仏会(花祭り、お釈迦様の誕生日。本来は旧暦の4月8日)の時期に、
お釈迦様の誕生を祝い、本尊である薬師如来を参拝する「お薬師さん」というお祭りがある。

Oyakushi

久司浦の住民は毎年区域ごとの持ち回りで、
女はお接待のご飯の炊き出し、男は甘茶の販売をうけもつ。

鯨漁港と寺を結ぶ参道には、
出店がいくつかならび、島のあちこちから、
島民や連休中の帰省客が子供連れで現れ、
しばしここが静かでのどかでちょっぴり哀愁漂う、
あの久司浦地区であることを忘れてしまう。

Oyakushi_demise

参道沿いにある前田地区長のお宅では、
毎年自宅の庭を開放し、焼きそばを焼いて、
参拝客にお接待をするという。

Oyakushi_maeda

お接待というのは、
都会の人には不思議な印象を与える風習だと思うが、
参拝の労(交通手段の発達した現在では労という労もないが)を、
沿道の住民がねぎらう、
ホスピタリティの原点ともいえる無私のおもてなしに、
離島だからこそ残されている日本人の精神性を見る気がする。
これもまた後世に受け継いで生きたい文化の一つである。

「しまの会社」の取締役であり、久司浦の住民でもある
リウ子姉にぱったり会ってお話を聞いたところ、
かつてのお薬師さんは島の外から団体客が船で港に乗り付けるほどで、
出店も参道に並びきらない数で、
露天商が朝早くから先を争って場所取りをしたほどだという。

今からは想像もつかない話であるが、
港の鯉のぼりをふくめ、
地域の皆で来客をもてなすこの素敵な行事を、
往時と同じようにとはいかないまでも、
決して絶えさせはしたくないものだ。

Oyakushi_hajime

(甘茶を一気飲みする玄、2歳。)




お魚朝市!

今日は、年に一度のビッグイベント「お魚朝市」(漁協青年部主催)が、
「しまでCafe」の目と鼻の先、漁協前広場で催された。

Osakana

テント前には10時販売開始のずっと前から黒山の人だかりができ、
順番待ちの行列となっていた。
いつもならばその行列客でほとんどが売り切れるそうだが、
今年は、「お薬師さん」と日程が重なっていたことと、
高速1000円効果で島から外へ遊びに出かける人が多いせいもあってか、
順番待ち客が落ち着いた段階(といっても僅かの時間の出来事だったが)でも、
美味しそうなお魚を選ぶことができた。

僕は家内の実家に大きな鰆(さわら)と鯛を一尾ずつ。
他にお世話になっている知人友人数人に鯛や太刀魚を買い求めた。

Osakana_sawara

(写真右はいつもお世話になっている島の若手(?)のリーダー、
ご近所さんでもある漁師のテツさん。とにかくイカす男なので、
またじっくり紹介したい。)

弓削島周辺の漁場は瀬戸内の中でも特別らしく、
近郊からも釣り客が年中やってくる。
春の桜鯛に代表される天然の近海魚は絶品で、
東京でスーパーの魚に慣れていた僕は、
この島に移り住んだ当初(といっても去年の話だが)、
鯛や鯵やタコやイカの味は場所によってこんなにも違うものなのか、
と衝撃を受けたものだ。

豊富な漁場とその魚の品質で、
弓削の漁師さんはみな経営が安定しているのだが、
この安定経営を確立したのが弓削漁協の島根組合長である。

朝市で組合長に久しぶりにお会いしたので、
玄の成長を報告(いつも可愛がってくださる)すると、
すぐに大きな鯛を御自らお買い求めになり、
玄にとプレゼントしてくださった。

Osakana_kumiaicho_5

ゴッドファーザーのようなその威厳にただでさえタジタジの僕は、
恐縮のあまりお礼の声も上ずってしまったが、
当のわが息子は何食わぬ顔で、ずっしり重いお魚に見入っていた。

一方、我らがしまの会社・村上律子さんらの所属する弓削女性塾は、
島民提供のリサイクル商品や果物などを販売する、
フリーマーケットのテントを会場内に設けた。

古い着物に連休で里帰りした若い女性が袖を通すなど、
ほのぼのとしたコミュニケーションが生まれる場所となっていた。

Osakana_freema

お魚朝市は、弓削島の魅力をたっぷりつめこんだ
すばらしいイベントだと思った。

来場者の中心は、島民と連休中の帰省客のようだが、
島の外の人にも島の魅力を感じる機会として、
来て見て感じてもらえたらなと思った。

お魚を食べる日本人はどんどん減っていると聞く。
まして獲れたてのお魚を間近に見る機会は滅多にないだろう。
食糧自給率の低さと廃棄率の高さ、
食糧危機への危惧が叫ばれて久しいが、
島に来て景色とあったかい会話を楽しみながら、
食と食文化を見直してみるのもいいのではないか。

島のお魚親善大使として、
お魚朝市をPRしていきたいと思う。

僕の好きなおじさん。

僕の好きな歌うたいのおじさんが、死んでしまった。

おじさんの名は忌野清志郎。
いわずと知れたロックスター。
おじさんの歌は、世の中の矛盾や虚構や、
権威を傘に威張る奴らや人生の悲哀を、
カラリと吹き飛ばし、
少しの哀愁とたっぷりの愛情と笑顔で、
金もチカラもない僕らを実に痛快な気分にさせてくれるのだ。
(まさに「気持ちE」のだ!)

おじさんのデビューは「宝くじは買わない」(RCサクセション)。
「だって僕はお金で買えないものをもらったんだ」と、
金銭至上主義の世の中を茶化したようなその歌は、
しかし決して説教臭くない。
宝くじの賞金額(400万円)を除いては、
今の時代にも全く色あせない(むしろますますしっくりくる)が、
その歌が発表されたのはほとんど40年も前なのである。
(当時おじさんはまだ10代。)
おじさんの詩、歌には時代を超越したメッセージがあるのだ。

そして、おじさんの生き方はまた時代を超越した無言のメッセージだ。
“06年7月に医師に喉頭がんを宣告されてから3年近くの闘病生活。
苦しかったはずだが「これも人生経験。この新しいブルースを楽しむ
ような気持ちで治療に専念したい」と言い、前向きにがんと闘ってきた。
 初期の喉頭がんだったこともあり、声帯を痛める可能性がある
切開手術をせずに、放射線治療を含めた治療法を選択。
 歌い続けることにこだわって、病魔と闘ってきた。
 がんが腰に転移したときも「妙に前向きになるのはなぜだろう。
心配はしないでくれ。このくらいのことは覚悟してた」
と周囲に話していた”そうだ。(スポニチSponichi Annexニュースより。)

おじさんの生き方を、メロディに乗せれば、
そのままRCのナンバーに加えられそうではないか。

いつか島に来て歌って欲しかった。

永遠にかなわぬ夢になってしまったが、
おじさんのキンキン声とくしゃくしゃの笑顔は、
この先もずっと僕らの心に生き続けるのだ。

享年58歳。

僕の大好きなおじさんは、僕らの前から突然姿を消した。
「雨上がりの夜空に輝く、ジンライムのようなお月様」にでも
なってしまったのだろう。

とべよ、鯨。

先日から、僕の住む久司浦(「くじら」と読む。)地区では、
波止場で、鯉のぼりが泳いでいる。
(鯨漁港の中波止。「久司浦」はかつて「鯨」と書いた時期があり、
漁港の名称にその名残をとどめている。)

Koinobori

4月に行われた久司浦地区総会で、
「家に眠っている鯉のぼりを持ってきて。」
と呼びかけ、今年から始めた試みなのである。

5月5日は、久司浦にある東泉寺にて、
「お薬師さん」という伝統のお祭りがあり、
島外からも参拝者が来る(昔はすごかったらしい。今はぼちぼち)
ので、来訪者の目を楽しませるためにもいいのではというわけだ。

なかなか心にくい演出である。

島の中でも久司浦地区は、若者世代の流出が顕著で、
子供が少ない。
秋祭りにはダンジリの上で太鼓を叩く「ダンジリ子供」が、
かつてはなりたくてもなれない「憧れの」存在だったのが、
今ではその確保に毎年頭を抱える状態で、
うちのチビなどは、「早く大きくなれよ。」と、
祭り狂いの男連中から、
半ば冗談で、しかし半ばは切実に声を掛けられる。

家に眠った鯉のぼりは、
いわば、その人口流出、少子化の象徴といえるものだが、
しかしそれをただ悲観するのではなく、
こうして、地域に残った者、年長世代の心意気を見せるところに、
昔気質の人間たちが随分と変わってしまった時代に咲かせる
美しい花を見る思いがする。

それは滅びの美学にも似たところがあって、
少し哀愁を伴う。
しかしながら、このなんとも言えずたまらない心意気、
誰が言い出したか、誰が得するかなど誰も気にしない自然な空気、
見返りを求めぬおもてなしの心は、
今の世にこそ、伝えるべきであるし、
きっと僕だけではなく多くの人の心に響くはずだと思う。
滅びの美学には、させたくない。

今年の「お薬師さん」の「お接待」は訪れる人の目と心を
柔らかなものにしてくれるだろう。
思わず笑みを浮かべる人の顔、
はしゃぎまわる子供の姿を想像するとわくわくしてくる。

鯨漁港の海の上に浮かぶ鯉ならぬ鯨たちは、
ミライからの風に乗って、僕らを先導してくれているようだ。

Koinobori02

(昔は、こんな大きなのぼりが家々にたなびいていたのだ。)

Koinobori03

(玄君もお手伝い!?)

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