希望の島プロジェクト 仲間たちのブログ

2009年4月

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しまなみ海道10周年

今年は、本四連絡架橋しまなみ海道開通10周年ということで、
関連イベントが目白押し。
昨日は、愛媛県・広島県が予定する10周年記念事業の、
オープニングイベントが大三島で催されました。
これから秋にかけて、しまなみ海道周辺で様々なイベントが開催されます。
上島町では、しまの会社の中心メンバーであり、
地域づくりのリーダーである村上律子さんが中心になって、
7月18、19日、しまでcafeの目の前の海で
一大ヨットミーティングが行われる予定です。

昨日のイベントでは、我らが「しまの会社」も、
上島町(橋はかかってないのだが近接自治体ということで参加)の
テントで物販をしてきました。
僕も生名島産の緋扇貝(カラフルな貝殻の貝)を焼いて売りましたが、
途中から上島町企画情報課の村上課長のヘルプが入り、
職人技ともいえる絶妙な焼き具合で見事完売しました。

Hiougigai

近くのテントでは、
東京から大三島に I ターンして、
レモンやネーブルでリキュールを作り始めた
「Limone(リモーネ)」の若夫婦が
できたてのリキュールをテスト販売しておました。
二人の心意気、すがすがしさに共感といい刺激を頂きました。
この先一緒に何かできたらと思います。

Limone

目の前のステージでは、
若手のミュージシャンたちや
しまなみ海道周辺の和太鼓グループ複数団体が競演し、
イベントを盛り上げていました。
弓削島からは、カフェの電器具関係をお願いしている、
マツモト商事の「ぼっちゃん」ことミツさんや、
天然酵母(島のレモン酵母)パンを焼く「おうちパン」のミヨコさんらの
「六鼓人」が見事なバチさばきを見せておりました。

Rokkojin

夕刻には別の会場で福山出身の世良正則野外ライブもあり、
ツイストファンの僕は、
アンコール曲の「燃えろ!いい女」で絶叫し、
声をからして帰りました。

高速料金土日休日値下げの効果もあり、
しまなみ海道の通行量も土日休日は随分増えています。

税金による補てんによる高速料金の値下げの是非や
本四架橋のあり方については、
正直首をひねるところはありますが、
所与の条件の中でそれを活かすも殺すも心がけで変わります。

マクロで見た政策としては納得できなくても、
それも一つのきっかけとして活用することで、
我田へ引水することもまた必要なのだろうと近頃では思っています。

少しでも島を知ってもらえるチャンスが増えるのだから、
いい風として乗っていきたいと思います。

燃えろっ!かーずーしー♪

噂の生どら

最初に「噂の生どら」と聞いて、思い浮かんだのは、
お昼のメロドラマだった。

実際にはその正体は、今人気の生どら焼きなのであった。
で、これを作っているのが、奥出雲の松葉屋という和菓子屋さん。
昨年末に、塔村クン(政経塾の後輩、前項参照)の
卒塾フォーラムの手伝いで、初めて奥出雲を訪れた際、
パネリストをしていた松葉屋の若女将(?)、内田咲子さんのお話が、
とても面白かったので、「次回お店へ会いに行きます。」と伝えたのだが、
それが今回の選挙の手伝いで、思ったより早く実現されたのである。
決して、内田さんが美人だから会いに行ったわけではない。
・・・いや、正直に言うとそれも少しはある。
でも一番は、パネルディスカッションでは時間が足りず聞けなかった、
松葉屋での苦労話を聞きに行くためだったのだ。

Img_0803

松葉屋さんは、10年ほど前に、国道沿いの新しいお店に移転したのだが、
その際に当時留学していた咲子さんはお店を手伝うために帰ってきた。
しかし、コンサルの指導のもと作った新しいお店の入りはさっぱりだったという。
どん底を味わった内田さんは夜逃げまで考えたそうだ。
それが、お客さんの言葉をきっかけに、
コンサルの言葉通りに展開した洋菓子をやめ、
長い年月をかけて培ってきた和菓子に回帰することを決心し、
その中で生まれたのが「噂の生どら」である。

今は、ニューヨークにまで展開するこのお菓子。
でもそこにたどり着くには、並ならぬ苦労があったに違いない
と初めてお話を聞いた際に感じた僕は、
その苦労話を聞き出すために、この日を待ったというわけである。
その苦労とそれを克服するプロセスはここでは書ききれないが、
やはり、地方をベースに事業を始めたものにとって、
とても勉強になるものだった。

Sakikosan

結果を出すにいたる過程を振り返り、
咲子さんが言うのは、夢をあきらめず語り続けることで、
徐々に夢が実現していき、それを見て周りも心が一つになったということ。

その夢というのは、咲子さんの過去の海外経験と
前述の苦労の日々が生んだもので、
日本の文化の誇りを世界に発信すること、
自分と松葉屋を育み、支えてくれた奥出雲のために、
役立ちたいということ、
そしてそのために、奥出雲という田舎の町から、
世界に通用する和菓子を送り出すということである。

10年前はほぼ家族経営だった松葉屋さんは、
もう三十数人の従業員を抱える地域になくてはならない
雇用の場となっている。

本業を通じて地域のよさを発信し、
本業を通じて地域へ貢献していく。
そんな松葉屋さんの姿勢と、
そのパワーの源泉たる咲子さんの熱き思いを目の当たりにして、
お腹はいっぱいになったのだが、
やっぱり生どらは別腹へとどんどん吸い込まれていく
山陰からの家路であった・・・




奥出雲紀行

松下政経塾の後輩である塔村クンが、
地元島根県奥出雲町の町議選に出馬、というので、
ちょこっとお手伝いに行って参りました。

選挙活動ってのは、どうも苦手なんですが、
政経塾には政治家を目指す人間が多く、
しかも塾のOB全部含めても二百数十人の
小さな所帯ということもあって、とてもつながりが濃く、
お世話になった先輩などに
「選挙は好きじゃないので」とはなかなか言いづらいのです。

塔村クンは、僕の在塾時代、
地域の自立という共通するテーマを掲げていたせいもあってか、
研修で、なぜか一緒に旅することが多く(いびきがうるさい)、
今回も、お世話になった云々より(世話にもなったが)、
そういう妙な縁の強さの延長上にある気がします。
塔村クンにはそのように妙に人を吸い寄せる何かがあるのだと思います、きっと。
というわけで、はるばる海越え、山越えて、まだ雪深い(うそ。でも寒かった)奥出雲へ。

Img_0796_2

しばらくぶりにあった塔村クンは、
ちょっと見ないうちにすっかり立派な政治家、っぽくなってました。
塾生時代の彼は、どちらかというとキャラと泣き落としで攻めるタイプだったのですが、
しゃべりも格段にうまくなっていました。
必要にせまられ、場数を踏むと、人間、どんなことでも出来るようになるんですね。

Img_0799

一日、広い奥出雲町の何分の一かを一緒にぐるぐる回りましたが、
塔村人気はなかなかのものでした。
それだけ候補者が地域のことを真剣に考え、
誠実に訴えてるからなのでしょうが、
人口減少の進む山間地域の住民の、若い世代にかける期待が、
どれだけ強いかということが伝わってきました。

奥出雲は、島に比べたらまだまだ元気なように見えましたが、
労働人口の流出など共通の悩みも抱えています。
地域や立場の差はあっても、
地域で地域のために活動する同志としてこれからも
連携していければと思います。

仲間が増えたよ。

四月はいろんな場所で、新しいスタートが切られます。
弓削島には小・中・高・高専など学校が沢山あるから、
入学式の晴れ姿の親子連れとすれ違うことが多く、
春の陽気と桜の美しさも手伝って、とてもすがすがしい気分になります。

弓削保育所にも新しい園児たちが入所し、
今まで同学年の子がいなかった玄(はじめ)君にも、
一気に同級生の仲間が増えました。
(確か8人くらい。)

今までは、年はほど近いながらも学年は一つ下の女の子と共に
ひよこ組(年少組)の中の更にひよこ的ポジション
(ひよこの中のひよこ、スーパーひよこ)を担ってきたのでした。
玄は、3月もどんづまりの31日生まれなので、
一つ下の学年といっても、
その女の子の方がしっかりしてたりするのですが・・。
また同様に、同じ学年のお友達といっても、
やっぱり随分玄より大きな子たちのようです。
ちょっと先に入って先輩面しようにも、
やっぱり元のひよこポジションに落ち着くんだろうなと
想像して妙に愛おしくなりました。(笑)

しばらくは、皆についていくのに苦労するのだろうけど、
小さくてもどんくさくても、誇り高きグレートひよことして、
自分史の初期ページを刻んでいってほしいものです。

島には、保育所は一つ。
ちょっと前までは、現在の下弓削の保育所のほかに、
ふくふくの会さんが改修して使っている上弓削保育所、
そして佐島にもあったわけですが、それが今は一つ。
どんどん人が減っていくことを身近に感じさせられる
顕著な例と言えるでしょう。

ちなみに、島(弓削島、佐島)にいる玄の同級生は
現在保育所に入所していない子をふくめると、
12、3人のようです。
(外から弓削商船その他の学校の先生・職員さんとして来られる方の
お子様も含まれるので、この先ずっといてくれる子ばかりではないのですが)

僕の同級生(亀山先生の次男ら)の代は100人くらいいたようで、
いかに少子化、人口流出の度合いが急かというのがよくわかります。

でも、12、3人でもいてくれるのはとても嬉しいことで、
その12、3人が仲良く力を合せ、のびのび育ってくれることを
切に願います。

一方で、このままでは、12、3人が、6,7人に、2、3人に、そしていずれは・・・
となってしまいます。
12、3人の段階であれば、まだ流れを変えられるかもしれません。

以前もお話ししたように「一人当たりに注がれる愛情」や
「一人当たりに注がれる学校教育」を考えると、島は抜群な環境のわけですし、
何より海があり、山があり、伝統があり文化がある。
都市化した生活からは得られない沢山の宝に囲まれてます。

そんな子育て環境、生活環境というものが、
本来の生命活動からすれば手段であるはずの
仕事や消費の効率性といったものから、
人生設計の主役の座を取り戻せるように、
より一層、この島の魅力を引き出し、皆に知ってもらいたいと思います。

弓削島桜だより(その3)~上弓削某所

上弓削にある古いお宅の敷地内に、
とても立派な桜の木が何本もあって、
それは見事なので、思わずバイクを止めて見入ってしまった。
ちょうど家の前でご主人が作業をしていたので、
話しかけると、40年生の桜だという。
「どうぞ見てってください。年寄りが残してくれたもんじゃけん。」
桜も素晴らしいが、ご主人も味がある。
「お宅も旧そうですね。」
と聞いてみた。
ご主人によると、大正年間に建てられたものだという。

ご主人が精を出していたのは、マキ割り作業。
大量の廃材をマキにするには随分時間のかかることだと思うが、
なんでも五右衛門風呂を焚くためのものだとか。
ご主人、暮らしぶりもまた粋ではないか。

廃材は、きっと島のどこかでまた空き家が一つ取り壊されて
出来たものだろう。
そう考えると少し寂しいのだが、
こうして昔ながらのスローな島の暮らしを楽しむ人のもとで活用されるなら、
少し救われた気になる。

あとで知り合いに聞いた話によると、
ご主人はずっと大阪にいて、引退後に戻ってきた方だそうだ。

「いいものを見せていただきました。」とお礼を言って立ち去る僕を、
「またいつでも寄って、もっと中の方で見てってください。」
と仙人のような口ぶりで送ってくれた。

Katayamake

(写真左は、婦人。)

弓削島桜だより(その2)~大谷桜園

島の花見スポットとしては、
もっとも有名な場所ではないのだろうか。
なにせ桜園とつくぐらいだから。

大谷桜園は島の東側にある。
島の東側は、西側よりも平地が少ない上に急峻なため、
集落もあまりない。

でも、晴れた日は本当に眺めがよく、気持ちいい。
眼下に静かな瀬戸内の海が横たわり、
遠くに四国本島や塩飽諸島が見える。

そんな場所にある大谷桜園だから、
島外から来るにはアクセスは決して便利ではないが、
海をバックに桜が見れる絶景のスポットだ。

僕が寄った時は、お昼時だったが、
サイクリングでやってきたらしいお兄さんが、
お弁当を広げていた以外誰もいなかった。
「こんないい眺め、独り占めとは、贅沢ですね。」
と話しかけると、笑いながら「そうですね。」と答えが返ってきた。

Otani_sakura01

Otani_sakura02

弓削島桜だより(その1)~潮音寺

島の桜は、満開です。
ぽかぽか陽気で、桜の木の下にたてば夢の中にいるようで・・・zZZ、じゅる。
おっとっと、本当に夢の中でした。

もったいないので、皆さんにも夢見心地をおすそ分けしたいと思います。
島をうろちょろして、独断と偏見でMy 桜の名所をレポートします。

第一弾は潮音寺。
下弓削地区の小高い丘の上に立つお寺です。

Choonji_sakura01

実は僕、このお寺を訪れたのは初めてです。
(まだまだ行ってないとこあるんですね。)
でも花見に行ったわけではありません。

花見をしているおばあちゃんグループから、
Cafeにお弁当の注文が入り、配達したのです。
でも、午前中からCafe自体のお客様も多かったため、
予定の配達時刻をずいぶん過ぎてしまいました。

おばあちゃんたちは、嫌な顔一つしませんでしたが、
せっかくの一大イベントの進行を狂わせてしまったことが申し訳なく、
配達に同行してくださった有吉さんと相談したところ、
「花より団子よ。」という有吉さんの一言で、
Cafeのメニューにある「庄右衛門だんご」をプレゼントすることになりました。
(庄右衛門は、江戸時代に自らの命を犠牲にして年貢の減免を
 藩に直訴した島の英雄。
 島では子供にいたるまで「庄右衛門さん」を知らぬ者はいない。
 毎年夏には、その偉業をたたえ庄右衛門祭りも催される。
 「庄右衛門だんご」は、その祭りで作られたことが発祥。)

早速、お昼の繁忙から一息つく間もなく、
スタッフの皆さんに、11人分のお団子を作っていただきました。

Shoemondango

お届けすると、おばあちゃんたちは皆一様に喜んでくださり、
毎年ここに皆集まって花見をするのだということ、
向かいの山道からの眺めもいいことなどを話してくださいました。

都会の宅配ピザであれば、
配達遅延はトラブルのもとでしかありませんが、
島では新しいコミュニケーションがそこから生まれるのです。
(もちろん遅延は反省しなければならないのだが・・)

その上僕は、お詫びの分も配達させてもらったおかげで、
二度も見事な桜を見ることができました。

スタッフの皆さんも、お疲れなはずなのに即対応いただいて
とても気持ちが良かったです。

ほんとに、皆さんありがとうございました。

Choonji_sakura02

(↑ 潮音寺から自性寺を望む。)

Choonji_sakura03

(↑ 石山方面から見た潮音寺の桜と下弓削地区)

落日燃ゆ

レコメン道という新しいコーナーが立ち上がりました。
(<コーナー立ち上げる前に普通に更新しろっつーの!)
分野を問わず、お気に入りをお勧めするコーナーです。

第一回目は、本です。(第二回がいつあるか分かりませんが・・・)
最近、あんまり本を読むことができていません。
特に小説は、仕事と直結しないということで心のどこかにうしろめたさがあり、
遠のいています。

たしかに小説は、実用書とは違い、即実践で使えるような知識は与えてくれませんが、
そういう本からは決して得られぬ人間の機微について語りかけ、感受性を刺激し、
人間の深みを増してくれるとても大きな効用を持つものだと本当は思ってます。
芸術鑑賞や自然体験などもそうだと思いますが、一見何の役にも立たなそうで、
回りまわって仕事にもいい結果をもたらすのだとも思います。

時間は作るもので、結局いい加減な時間の使い方もしているのだから、
小説くらい読む時間はひねり出せ、と思うのですが、なかなかできません。
しかし、先月、結構移動の時間が多かったこともあって、
本屋でたまたま手に取った本を買って読んでみました。

城山三郎の歴史小説「落日燃ゆ」です。

Rakujitsumoyu

東京裁判で唯一文官として処刑されたA級戦犯・広田弘毅の生涯を
描いたものです。

戦前から戦中にかけ、外交官として、首相として、
常に戦争回避、和平交渉のための努力を重ね、
時に危機を救う外交成果を残しながらも
時代の流れを食い止めることはできませんでした。

戦争犯罪人どころかむしろその正反対の人生を歩んだ広田は、
しかし、当時の感覚からしてもひどすぎるその仕打ちに対しても、
結果として戦争を食い止めることができなかった責任を感じ、
また他の多くの文官の代表としての役割を自ら任じ、
そして何より「自ら計らわぬ」信条を持って、
ただ静かに自ら死を待ったのです。

パフォーマンスで少しでも自分を大きく見せようしたり、
自らの地位に恋々として生き残り策を画策したりするのが当たり前の、
今の政治の世界、そして社会全体が、
広田のような気概をもつことができたなら、
経済危機も政治不信も懼るるに足りないと思うのですがどうでしょうか。

もっともこれは自分に対する戒めでもあります。
広田の社会の道具に徹する覚悟と責任感、
自ら計らぬ無私無欲さは、世のために役立ちたいと思うならば、
本来持ち合わせてしかるべきものかもしれません。
まあ、遠く及ばなくとも近づく努力はしたいな、と。(<弱っ)

もちろん、小説ですから全てを史実として鵜呑みにすることはできませんが、
史実か史実でないかは、とりあえず置いておいて、
感じたことを自分の血肉にするのが小説や芸術の醍醐味ですから、
次に僕を見かけた時にちょっと哀愁漂う外交官になりきっていても、
笑って許してください。(<そういうことではないような・・・)

新しい時代の保険、ってこんなカタチ。

僕の知人で、年齢はずっと先輩なんだけど熱い方がいる。

出口治明さん。
ライフネット生命という、2006年10月に誕生した
新しい生命保険会社の社長さんだ。

出会ったのは、政経塾の一年目の終わりころだったから、
3年ちょっと前か。
政経塾のある先輩の主催する勉強会で隣に座ったことでお話をした。

当時は、ライフネット生命立ち上げの前で、
東大の総長室アドバイザーをされていた。

実は、ライフネット生命という会社も、出口さんがその代表であることも、
わりと最近まで知らなかった。
年賀状か何かで初めて肩書きが変わったことを知り、
結構その世界では有名人だったのだということをネットを通じて漸く知りえた。
(出口さん失礼いたしました。)

ただ、東京を離れて島に移り住んでから、世情にだんだん疎くなっているのと、
生命保険という金融商品が、現在の自分の置かれた経済状況に
ヒットしないという残念な理由により(苦笑)、特別な感慨をもたなかった。

その時点では・・・。

よく考えてみると、出口さんに直接お会いしたのは例の勉強会の一回きりだ。
しかし一方で出会った時から、とても気さくにいろいろアドバイスをいただき、
その後もFAXや手紙を頂いたりしたので、とても親しみを感じていた。

その出口さんから、先日、突然メールを頂いた。

内容は、「志バナー」というのを始めたので、
広めるために知恵を貸してほしい、というものだ。

前述のとおり、僕は世俗から遠ざかっているし、
もともと知恵がないからみんなに頼って生きている人間なので、
「お貸しするような知恵はありませんが、」という前提で、
「志バナー」を説明するWEBページを見た一閲覧者の感想として、
返信メールをお送りした。

その内容は、一閲覧者だけに気ままなもので、
要約すると「いま一つ共感を呼ばないのでバナーを貼ろうというところまでいかない。」
という失礼極まりのないものだった。

とはいえ、僕は僕でどうしたら閲覧者がバナーを貼る気を起こすだろうかと、
ない知恵なりに絞ってみたのだ。

「志」という名称からも、
バナー画像にある「ライフネット生命を応援します。」という文言からも、
損得ではなく事業内容に共感してバナーを貼ろうとする気にさせる何かを
期待してページ内を読むのだが、
バナー作戦実施の理由として「インターネットの保険会社だから。」、
「広告費用をかけられないから。」という内容のことはわかっても、
「○○だからライフネット生命を応援します。」の「○○だから」が、
少なくとも僕には見えてこなかったのだ。

その旨、出口さんにお伝えすると、
「貴重なご意見ありがとうございます。」という書き出しから始まり、
ライフネット生命の設立趣旨についてのご説明のメールが返ってきた。
そこにはこう書かれていた。

ライフネットは、『保険料を半分にして安心して赤ちゃんを産んでほしい』と
思って作った会社です。
そして、保険料を半分にするためには、『お金を使えない』ので
志バナー運動を始めたいと思った訳です。」

僕は感激して、そんなことも知らず偉そうなことを書いた自分を恥じ、
すぐに、「すばらしいこと!もっとわかるように書いてください。」
とメールを送った。

それから音沙汰がなかったので、「出口さん、怒ったかな・・」と思っていたら、
数日後、メールボックスに三たび出口さんの名前を発見した。
そのメールを出口さんのご了解のもとに転載させていただく。

兼頭さん
志バナーの件、少し、書き直してみました。
引き続き、どうかよろしくお願い申し上げます。

「なぜ、ライフネット生命は、『志バナー運動』を始めたのか」

わが国の若い世代の所得はびっくりするくらい低くなっています。
1人当たりで見れば、20代、30代の子育て世代の所得は、
高齢者を下回っているのです。

ライフネット生命は、この事実を重く受け止め
「子育て世代の生命保険料を半額にするので
安心して赤ちゃんを産んでほしい」
という思いからスタートした保険会社です。


経営方針は
「正直に経営し、わかりやすく、安くて、便利な商品・サービスを提供する」
という4条で、 それをマニフェストという形で公開しています。
(下記のウエブサイトをご覧ください)
お預かりした保険料は、安全を第一に考え、
株式投資も外貨投資も一切行わず、国債中心に運用しています。


でも、昨年5月に開業したばかりなので、
ライフネット生命という会社があることは、ほとんど知られていません。

つまり、認知度がまだまだ低いのです。
でも、認知度を上げるために、大々的な広告や宣伝を行えば、
その分保険料が高くなり、
「どこよりも安い保険料を実現したい」という私たちの思いに抵触します。

そこで、私たちは、インターネットの中で「口コミ」をお願いしたいと考えて、
下記の「志バナー運動」を始めることにしました。

私たちは、皆さんのお力添えにより、ライフネット=生命(いのち)のきずなが、
少しずつ、世の中に拡がっていくことを切に望んでいます。

http://www.lifenet-seimei.co.jp/deguchi_watch/2009/03/post_33.html

ライフネット生命保険株式会社
代表取締役社長 出口 治明

僕は二度感激した。

一度目はその理念に。
二度目は、出口さんの人間性に。

ただ志が高く、熱い思いを持った方というだけではないのだ。
こんな名もない若造の気ままな意見にも、
ここまで誠実に耳を傾け、真摯に答えていく経営者がいるだろうか。
おそらく想像を超える多忙な毎日にもかかわらず、である。

思わず、松下幸之助翁の顔が思い浮かんだ。

「素直な心」で「衆知を集める」とは、翁がとても大切にしたことであり、
我々政経塾出身者は、塾の精神の筆頭に来るものとして、
胸に刻みつけてきた。

しかし、実際においてそれが出来ているかというと、なかなか簡単ではない。
つい厳しい意見には耳をふさぎがちだし、
独善的な行動をしてしまっては言い訳をする自分がいる。

そんな自分に対し「素直道」の上級者から、
「これがお手本だ!」と思い知らされた気分である。

しばらく生命保険加入は無理でも、
ライフネット生命は応援したい。
出口さんにあやかりたい。
こんな幸せな出会いに感謝したい。

生命保険

わたしたち希望の島プロジェクトは、ライフネット生命を応援します!

サニーレタス

お向かいの坂本さんに、
もりもり盛り上がるサニーレタスをいただきました。

Img_0589

坂本さんは、いつも玄関にそっと野菜や果物を置いて、
黙って去っていく笠地蔵のような方です。

確か、お嬢様が鎌倉の建長寺のお坊さんに嫁がれているとかで、
時折鎌倉の話題にもふれます。
僕ととっても鎌倉は政経塾時代、家族で住まいを構えた思い出深い地であり、
建長寺は坐禅研修などでお世話になったこともあり、
共通の話題として鎌倉の話ができることは嬉しいことです。

坂本さんご自身はご主人に先立たれ、
お子様方も都会に出られているということもあり、
今はお一人でお暮らしです。

庭にはアジサイの木があって、
昨年は移ってきたばかりの我々家族の目を愉しませてくれました。

そして、アジサイといえば、鎌倉。

先日、まだ時期には早いアジサイの木を丁寧に手入れしていた坂本さん。
遠くに暮らすお嬢さんを思いながら愛しみ、
花の咲くのを楽しみに待っているのかもしれませんね。

瀬戸内中年野球団

WBCの「祭りのあと」で、
もうひとつ盛り上がりに欠けた感のあるセンバツ甲子園。
それでも決勝は手に汗握る白熱したゲームとなった。
「春はピッチャー」と言われるとおり、
大会を代表する左右のピッチャーによる投手戦で、
長崎の清峰高校が接戦を制した。

わが愛媛は、秋の四国大会で決勝を戦った二校が、
四国四県合わせて二校の枠を独占してW出場し、
期待を持たせたが、二回戦までで両校とも姿を消してしまった。

その二校とは、一つが僕の実家にほど近い西条高校。
もう一つがわが母校、今治西高校である。
今治西は、野球の伝統校で、甲子園の常連校でもある。
春も夏もベスト4までは何度も経験しているが、
いまだに決勝には進んだことがなく、
松山商、西条と甲子園優勝経験を持つ古豪のひしめく愛媛県にあって、
宇和島東(レイズ岩村の出身校)、済美など、
後から出てきた強豪校に先を越されて大優勝旗をさらわれてきた。
(済美に至っては、僕の知る限りでは女子高だったのに・・。
甲子園初出場初優勝を聞いてたまげた愛媛県人は沢山いたはず。)
この春もまた悲願かなわず、浜風吹くグラウンドを去ったわが母校。
それでもここ数年は、春夏ともに高い出場率を誇っている。

その、ここ数年の今治西ナインを指揮するのが、大野康哉監督。
自らも今治西野球部出身であり、三年時には主将を務めた。

そして大野監督は僕の同級生でもある。

同級生が甲子園という檜舞台で活躍することは、
ただ同級生だっただけにもかかわらず、とても誇らしい気持にさせてくれる。
しかし、大野が本当にすごいと思えるのは、
ただ甲子園への切符を何度も手にしているからというだけではない。

その現役時代を知る我々に殊更な感慨をもたせるもうひとつの
理由がある。

今治西へ進学することは、僕らの年代においても、
一つの期待を伴うものであった。
甲子園に応援に行けるかもしれない、という期待である。

一番盛り上がるのは、やはり夏の大会。
今治球場で試合があれば全校総出で応援に行く。

ところが・・・。

僕が同校に在籍した三年間、つまり大野の現役時代の三年間、
おそらく今治西野球部史上、後にも先にもないと思うのだが、
甲子園はおろか、夏の大会三年連続県大会の一回戦負けを喫したのだ。

松山商など強豪校と当たったりして、組み合わせ運も悪かったのだろうが、
どちらにせよ、野球部とは何のかかわりもない僕ですら悔しいんだから、
当の野球部員、しかも中心選手である大野の心中ははかり知れぬものがある。

しかし、である。

その悔しさを、十数年経たのち、今度は監督となって晴らすのである。
何と感動的なストーリーではないか。

もちろんその陰には我々には想像できない努力があるだろう。
聞こえてくる話では、大野監督は、選手の心構えをとても重視するらしい。
無名校と対戦した交流試合で手を抜いた選手を、
相手チームの目の前で叱りつけたこともあるという話を相手校のOBから聞いた。
そんな日々の細かなことを大事にするチームづくりだから、
大野監督の率いるチームはいつも
派手さこそないが、とても誠実で堅実なプレーが輝いて見える。
とてもすがすがしい気分にさせてくれるのだ。

昨年正月の同窓会で卒業以来久々に会った時は
芸能人と見まがうばかりの人気ぶりでろくに話もできなかったが、
強い眼光がとても印象的で、
卒業後悔しさをバネに積み重ねてきた経験の重みを感じた。

同級生として、自慢の種とするだけではなく、
その情熱と努力を見習わなければならない。

ところで、その大野および今治西高野球部と弓削島には縁がある。
大野の現役時代の八木監督は僕らの体育の先生でもあり、
ふだんは気さくなその八木先生も
ベンチでは厳しい指揮官の顔であったことを記憶するが、
彼もまた今治西野球部出身。

そして現役時代の八木選手らを率いて
今治西高を甲子園に何度も導いたのが、
弓削島は上弓削地区にある高浜八幡宮の神主・亀山先生だ。
しかも亀山先生の次男は、同じく今治西高でこれまた同級生だったのだ。
亀山先生は、元々が熱い人間だからか、地域に対する思いもひとしおであり、
僕も公私に渡り色々ご指導を仰いでいる。

大野は亀山先生の孫弟子にあたるわけだが、
新旧の名将ということで何かと交流もあるらしい。
てことは、まあ言うてみれば、
大野も俺も亀山先生の兄弟弟子同士みたいなもんだ。
(と虎の威を借りてみたが、あまり説得力がないな・・・。)

とにもかくにも、島にもつながりがある母校の同級生監督を、
これからも応援していきたい。

活躍する同級生の姿を見ることで、
自分もまた頑張ろうという勇気と力をもらっているのだから。

大野が、自分のリベンジだけにとどまらず、
歴代今治西ナインのリベンジを果たして、
あの黒土のグラウンドで大優勝旗を手にする時には、
ぜひ僕も甲子園のスタンドで同じ空気を吸い、
蛍雪をかたどった校旗が浜風にたなびくのを誇らしげに見ながら、
ともに校歌を唄たっていたいものだ。

春菊

隣のシマさんにシャキシャキの張りのある春菊、頂きました。

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シマさんには、先日「春菜」も頂いちゃいました。

ともに「春」を名にもつ野菜。
お隣さんからの春のご挨拶といった感じで、
心もポカポカ春めいてきます。

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2歳になったよ。

息子の玄(はじめ)は、昨日(3月31日)で2歳になりました。
1年前の誕生日は鎌倉で迎えました。
今ではすっかり島っ子で、
島のみんなにかわいがってもらってすくすく元気に育ってます。

保育園に通い始めてからも3ヶ月近く経ち、
最初はおっかなびっくりだった玄も
近頃は、お兄ちゃんお姉ちゃんの後を追っかけていき、
いたずらのレパートリーも随分増えて先生たちを困らせています。
3月一杯で担当の先生と園長先生が異動となり、少し心配しましたが、
そんな心配をよそに今日も元気に暴れ回っていたようです。

昨夜は、我が家にて小さなバースデーパーティが開催されました。
とはいっても母ちゃんが全部やって父ちゃんは見ているだけだったのですが、
玄君のおかげで父ちゃんまでごちそうにありつけ、玄様々です。(<最低やな。)

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中でもガウディの建築のような芸術的(笑)ケーキは圧巻でしたが、
食事でお腹一杯になった玄君は、食後のデザートには手が出ず、
頑張って作った母ちゃんに申し訳ないので、
代わりに父ちゃんがそのほとんどを有り難く頂戴いたしました。

親の心子知らずの玄君は、むしろオマケだったはずの
ロウソク消しに夢中になり、母ちゃんに「もう最後よ。」と毎回言われながら、
何度もフーフーしてました。

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更にこれまたオマケですが、父ちゃんの飲んでたビールをせがみ、
同型のグラスに母ちゃんの作った梅ジュースを入れてもらったところ、
気に入って、何度も「ビール、ビール」とおかわりしてました。

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ちなみに、今日保育所でもグラスでジュースをねだり、
先生たちの前で、父ちゃんに仕込まれた「プハー」という
飲み干した後のパフォーマンスを見せていたそうです。
夕方お迎えに行ったとき、「ハジ君ビール飲んじゃ駄目よ。」と
先生に諭されてました。
先生の父ちゃんを見る目が心なしか厳しく感じられ、
足早に保育園をあとにしました。

・・・まあそんなこんなではありますが、
親子共々このように元気に過ごさせて頂けるのは、
皆様のお支えあってでございます。

子供が少ないこともあるかもしれませんが、
島っ子たちは、皆に見守られて育つので、
どの子も素直にのびのび育っている気がします。
少子高齢化の島というと希望のないイメージですが、
「子ども一人当たりに注がれる愛情No.1」とか言いかえれば、
ぐっと魅力的な感じになりませんか?

抜群の子育て環境を与えてくれたこの島と
島の皆様に感謝したいと思います。

今後ともご指導の程宜しくお願い申し上げます。

へっぽこ親子

新年度おめでとうございまーす!

大変ご無沙汰の更新です。

ここまで来ると、もはやブログ界の常識を覆すものではないかと思っております・・・。

さすがに「いや忙しくて・・」なんて言う言葉もしらじらしくて口に出せません。

ネタがなかったのかというと、むしろ面白いことがたくさんあって、

どちらかというとネタだらけの日々だったのですが、

まあ今度がんばって、遡って書いてもみたいと思います。

(もはやブログではない。ブログを超えたブログ「超ブログ」とでも呼ぶべきか。エヘ。)

Yamazakura

さて、島の山々を山桜が淡く彩る季節。

もう4月です。

しまの会社としても新しい期を迎えると同時に、立ち上げてちょうど半年を経過。

また私も松下政経塾を卒塾して丸一年がたつわけで、

初年度は事業としても、移住者としての私自身の行動についても、

「不慣れな点が多くて・・」とか「新規の試みですから・・」という言い訳が成り立ちますが、

これからはそうも言っておられません。

結果を出していかなければなりませんし、

そのためにも一挙手一投足を大事に努力を重ねなければ、

協力も得られないと思います。

これまでは、島内外の様々な方に助けられ、紆余曲折を経ながらも、

徐々に前へ進んでおりますが、社会のあり方に一石を投じるという目論見からすれば、

まだまだ前途は遠いわけで、手助け頂いている皆様のお気持ちに報いるためにも、

「期」が新たになったところで、「気」も新たにして、一日一日真剣に生きたいと思いますので、

皆様、引き続きお力添えよろしくお願いします。

へっぽこ拝

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