希望の島プロジェクト 仲間たちのブログ

2009年1月

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織るということ。

寒いこの冬の中でも、今日は特に寒かった。
もっとも、「今日は特に寒かった。」という言葉を、
この冬すでに何度使ったことだろう。
とにかく強風で予定されてた「どんど」が延期されたし、
(竹やわらで組んだ塔で古いお札やお飾りを燃やす行事。
僕の育った周桑地方では「とうどうさん」と言ってたと記憶する。)

昼間はなんと雪が舞った。
移住する前、島には雪は降らない、と聞いていたのだが、
この冬、すでに三回は雪が舞うのを見ている。

瀬戸内の島という温暖なイメージから
雪を連想できる人はそう多くはないと思うが、
僕にしたって「どうなっとんな(弓削弁で、どうなってるんだの意)、
この島は?」と
言いたい気分である。


しかし子供というのは元気なもので、
我が息子・玄(はじめ・1歳9か月)も降る雪を喜び、
「パンポ(=散歩)、イク?」と言いだしてきかないのでしぶしぶ外へ出る。
手袋が見当たらず代わりに靴下を手に履かせてみたら、
本人もまんざらでもなさそうだったので、
靴下を合計4足履いた幼子を連れて神社まで歩くことにした。

かれこれ11、2Kgにはなっただろう息子を抱いて歩いたおかげで、
帰る頃にはすっかり体があったまった。


さて、この寒空の下、船に揺られてお客がやって来た。
今日は、カフェにも「テレビや新聞を見た。」というお客様が、
島外から何組も来て下さったようである。
(お越しいただいた皆様、わざわざ遠方より有難うございます。
カフェにいなくてすみませんでした。)


僕を訪ねてきたくれたのは、今治でタオル業を営む宮崎陽平さん(30)。
(ブログはこちら。http://www.yo-hei.com/
宮崎タオル株式会社を営む先代(ご尊父)を数年前に亡くし、
若くして会社の経営という重責を引き継いだのだ。


ついでながら、今治は昔から造船とタオルの町として知られる。
造船は、日本最大の造船会社である今治造船の本拠地でもあり、
現下は急速な世界不況で先行きは不透明ながらも、
ここ十数年は、世界的な生産・消費市場の拡大、物流の膨張の波に乗って、
今治という町を様々な面で支えてきた。

一方、タオル産業は日本一の産地としての地位は保ちつつも、
実質は、世界の工場・中国の製品に取って代わられ、
かつて500社あったタオル業者は100社ほどに激減してしまったという。

造船とタオル。
長年同じ町の基幹産業でありながら、グローバル化の影響が
これほどくっきり明暗を分けてしまった例も珍しいのではないか?


宮崎タオルもその例にもれず、
陽平さんが事業を引き継いだ時はかつての売り上げ規模の数分の一となって、
このままいくと倒産、というところまで来ていたという。
彼は、先代が手がけた「日本初のコットンマフラー」に重点特化し、
事業をスリム化した。
若くして、従業員数を減らすという経営者としてとても辛い決断も下した。
その努力の甲斐もあり、昨年のショール・ブームなども手伝って、
業績は上々のようだ。

コットンマフラー自体は、類似商品がたくさん出ているが、
それは先代がそのことで皆が潤うならどんどん真似してほしいという
意向であったことにもよるようで、
陽平さんはその意思を尊重しつつ、
今治というかつて輝いていたタオル産地が
もう一度誇りを取り戻すようにと願いを込めて、
イマバリタオルマフラー70」(70は、軽さたったの70gの意。)
という名称にしたり、
2007年には、グッドデザイン賞をとったりと、
オリジナリティを高める努力を怠らなかった。


そんな陽平さんがなぜ突然に(ほんとに今朝突然連絡があった)
島へ来たかというと、
たまたま僕の懇意にしている東京のデザイン事務所
agasuke(当サイトも手掛ける)
のデザイナーが、あるクライアントを通じて陽平さんと知り合い、
僕のことを紹介してくれたらしい。

正月に島へ来てくれた高校の同級生のよっちゃんが、
たまたま陽平さんのブログを読んでいて、
「今治にも面白いのがいるぞ。」と話してくれたばかりだったので、
僕は偶然の重なりに驚いてしまったが、
当の本人は、拍子抜けするほど実に自然体の飾らない御仁で、
この寒空の下、因島に車を置いて、自転車で船に乗り込んでやって来た。

聞けば今治西高の後輩で、
当時は勉強の意味が見いだせず勉強嫌いであったそうだが、
経営者となってからは、自ら必要を感じて経営について
勉強するようになったという。
今は誰憚ることなく「勉強が好きなんですよ。」と言うほどだ。
松下幸之助翁の本やCDも彼の中のヘビーローテーションのようで、
幸之助談義で盛り上がった。

高校球児を引き合いに「熱意」の大切さを翁が語ったくだりが、
陽平さんの胸を深く打ったらしく、
その感激を、まるで今初めてその言葉に出会ったかのように
みずみずしく語る彼の表情には、
松下翁が最も大切にした「素直な心」がにじみ出ていた。


彼は、自社の事業を発展させつつ(あるいはそのことを通じて)、
寂れ行く今治の輝きを取り戻したいという思いが強くあるようで、
彼と気脈を通じる仲間たちが彼の周りにいるようである。

僕も、知りうる限りのネットワークを彼と共有して、
彼がオーガニックコットンでやさしいマフラーを織るように、
静かな笑みの中に熱い思いを燃やす彼のような人たち同士を
縦と横の糸にして、
力強い息づかいを感じる社会を共に織りあげたいものだと思った。

ヤキハタ・ニッポン

今朝の新聞に、愛媛大学の学生らが取り組む
焼き畑農業に関する記事が出ていた。
焼き畑農業は、昭和30年代にほとんど途絶えてしまったのだが、
それまでは特に耕作条件の厳しい山間地を中心に各地で行われていたそうだ。
雑木林を焼いて耕し作物を育てる。燃えた草木の灰が養分となり、育ちがいい。
2、3年で耕作をやめ、別の雑木林を焼く。
耕作を辞めた畑がまた雑木林に還るという
サイクルを繰り返すものだ。
大量生産には不向きだが、環境にやさしく、持続可能な農法だ。
その焼き畑農業をこの今の世に復活させようという。


僕の住むこの弓削島でも、かつて山は段々畑に覆われていた・・・らしい。
しかし今、山は荒れに荒れている。
高齢化が進み、若い労働世代はほとんどが都会へ出てしまった。
輸入作物や大量生産品に押されて、農産物価格は下落する一方で、
島の小規模農業では食えない。
高齢者だけでは、山の畑での作業は危険が伴う。
まず山の畑から、荒れていくのだ。

荒れた畑には、竹や葛がはびこる。
土壌保全力も弱くなって災害が心配だ。
地下水脈を通じて磯に染み出し良い漁場を創るはずの養分も
作られぬ山へと変わりつつある。
人の手の入らぬ山に、イノシシやタヌキが増え、
今や人家近くまでやってきて、里の畑までも荒らしてしまう。
かろうじて残る農業から、さらに人々を遠ざける悪循環が起きている。


そんな危機感の中で、この記事は痛快な気分にさせてくれた。
山の環境の保全、それに連なる豊かな海づくり、
そして農業の育成と食の自給。
一粒で二度も三度もおいしいぢゃないか。
似たような話で、豚に耕作放棄地を開墾させる取組もあるときく。


このグローバルな経済危機の中で、先行きは見えない。
そんな状況で、生きていく上で一番必要なのは食べるものだということに、
ぼちぼち世界の人たちも気付くころだろう。
食料の6割を輸入に頼るこの国に、食糧危機がやって来るのも、
意外に早いかもしれない。

今、憐れみのトーンでブラウン管(いまだに)に映し出されている
巷に溢れた失業者の姿を見るにつけ、
都会でいつやってくるかわからない次のバブルを待つよりも、
島へやってきて焼き畑をやろうぜ、と声を出したくなる。
結構面白いと思うんだけどな。

しまの会社2009


新年明けましておめでとうございます。


昨年は大変な年でしたね。
もう次の年のことでも考え始めたころに事態が急変。
ウォール街がくしゃみをしたら、
世界のマネーがさっと金融市場から姿を消して、
おっとっとっと経済システム自体がぐらついて、
サブプライムなんて関係ないなんてタカをくくってた日本の実体経済までも、
まるで突然現れた津波のような衝撃を受けちゃった。

挙句の果てが空前の派遣切りなんてとてつもない状態で、
ちょっと前まで過去最高益をたたき出していたグローバル企業の
経営改善努力を讃えていた評論家も、さっぱり口をつぐんでしまった。

「派遣村」なんてのが、まるで流行りの何かみたいに報道されて、
なんだかよくわからない、ごった煮の鍋の中でかき回されてるみたいな
世の中になって来た。

あの原油投機バブルがうそのようにマネーはなりを潜めているが、
何か次の獲物を狙って暗闇からのぞき見ている魔物のようで気持ちが悪い。

でもグローバルの市場化、金融のボーダレス化が
こんな台風みたいな暴走を起こすことは、
正直ある程度予測がついていたので、
少々突然すぎた感はあったが何だか驚きは少なかった。


お金はお金。
暮らしをアシストする手段であって、決して目的ではないのだ。
(詳しくは、小生著「ハラカ国とポレポレ国~グローバル化のその向こう」参照。)


今の世の中はそれが主客逆転している気がするけど、
でも、なんだか一方でそのことに気付いている人も、
増えてる気がする。

だから希望をもって、
「生きる」ってことをもう一度見つめ直すことから
始めていきたいと思います。


奇しくも、この変化と期を同じくして、
もう一つの未来をさぐる旅、われらが「しまの会社」がスタートを切った。
「これって何かの啓示かしらん。」なんて、
数字や日々の事務処理に頭を抱えて過ごす年越しに、
ちょっと慰め代りに思ってみる新年のへっぽこ代表です。


さあ、今年も盛り上がっていきますよ。

カモン、ジョイナス!

へいへい、今年はブログも書きますよ。

ちゃんとね。

・・・たぶんね。


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