希望の島プロジェクト 仲間たちのブログ
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ワールドクラスな、島ユースたち。

 今朝の愛媛新聞には、弓削島民にとっては誇らしい記事が二つ並んで掲載されていた。
 「頑張る若者 光る才能」の見出しの通り、二つの事例とも若い力の結晶である。

 一つは、全国高専プログラミングコンテストにおいて、弓削商船高専マイコン部員5人の開発した機織り作業支援ソフトが自由部門の優秀賞(準優勝)に輝いた、というニュース。誰でも簡単に楽しく機織りができるというプログラムで、記事には書かれてなかったが、以前マイコン部にお邪魔して直接聞いた話では、消えゆく日本の伝統文化を残すためにITを活用したいという発想であった。ITはあくまでツールという考えが学生たちにも浸透していることに驚いた。
 ちなみに弓削商船高専は、同コンテストや他の全国規模のプログラミングコンテストで、毎年のように優勝者や準優秀賞者を輩出している。

 もう一つの記事は、弓削高校パソコン部の生徒二人によって地球温暖化防止をテーマに作成されたポスターが、国際統計協会などによってイギリスで開催された国際統計ポスターコンクール高校部門で9位に入賞したというトピック。CO2の国別排出量や国内における家庭排出量推移など9種のデータをグラフを使ってビジュアル表示し、家庭でできる温暖化防止策の実行も呼び掛けている。同コンクールは世界30カ国から4900人の代表が競い合ったということでまさにワールドクラスの偉業である。

 弓削高校パソコン部は、本年度「全国高校生観光甲子園」においても、観光プログラムや集客のプランで優秀作品賞を受賞しており、その報告会の記事もつい先日掲載されたばかりであった。

 弓削商船高専にせよ、弓削高校にせよ、私が移住するずっと以前より統合の可能性や廃校の可能性が検討されている。

 しかしどうであろう。受験者数や生徒数がどんなに少なくなっていても、全国クラスやワールドクラスが次々と現れるというのは。
 これは単なるラッキーパンチの偶然な重なりであろうか?
 それとも島という環境が、特別な才能を強化促進してくれる何かを持っているのだろうか?
 いずれにせよ、離島、田舎という環境が才能を育て、開花させる上で何ら妨げにはなっていないということを、それどころか存分に発揮させることができるということを証明してくれる嬉しいニュースであった。

 弓削商船高専マイコン部のNさんは、純粋弓削島培養の学生で今年卒業を迎える。
 以前より「弓削島を離れたくない。弓削島で仕事ができたら嬉しい。」という願望を漏らしていたが、この春より東京の有名IT企業で働くことがすでに決まっている。
 島を愛する若者が一度島を出て外の世界を知り、外から島の良さを(悪さも)客観的に見てみる、ということは悪くないことだし、島育ちの人材が都会の最前線で活躍するというのは誇らしくもあるのだが、それ以上に「もったいない。」という思いが頭をもたげる。
 「島で仕事ができたら。」という願望を、願望のままで終わらせないことができたらどんなにかすばらしいか。

 弓削島は、主に海外航路の船員という形で、100年を超えて世界中に人材を送り出し、世界の文物を島に持ち帰って来た歴史を持っている。
 そんな歴史の上に、今なおワールドクラスの人材が育つ土壌をこの島は持っているのだ。
 ワールドクラスの人材が、育ったのちに、ワールドクラスの仕事をするワールドクラスの島にしようじゃないか。


 

稲むらの火

 1月17日、阪神淡路大震災から17年目を迎えて、各地で防災行事や追悼イベントが行われた。
 昨年は東日本大震災もあって、日本が地震大国であることの事実と、備えとなる防災の重要性を日本中が痛感していることと思う。

 東京数寄屋橋には、関東大震災を忘れぬよう建てられた「平和の神の像」というのがあって、そこには「不意の地震に不断の用意」という文字が刻まれている。
 まさに、地震のようにいつ襲ってくるかわからない災害に対しては、日常からいざという時の準備や訓練をしておくしかない。
 しかしながら、のど元過ぎて熱さを忘れたり、対岸の火事と高をくくりやすいのが人間の常であり、かくいう私も自分自身がどういう災害に際してどう行動すべきかというシミュレーションがきちんとできているかというと自信がない。
 「瀬戸内海は、大きな地震もないし、まして津波の被害などはありえない。」というのが、このあたりに住む人々の大方の意見のように思われる。
 私も、統計上確率としては少ないであろうということで、ある種の安心感をもってきたことを正直に打ち明ける。

 しかし、四国北部は東西を貫く形で中央構造線が通っているし、100~150年周期で発生している南海大地震においても、1707 年宝永大地震、 1854年安政南海大地震などの記録によれば、広島や愛媛の沿岸地域で、1.5~2.5Mの津波が襲い、農地や家屋に被害を与えたとされている。また東日本大震災の状況が酷似しているとされる平安時代には、東海、東南海、南海の連動による大地震も起きている。決して他人事ではないのだ。

 戦前の小学校の国語教科書には「稲むらの火」という話が掲載されていた。
 1854年の安政南海大地震の際、紀伊国広村(現・和歌山県広川町)で起きた実話を題材にした物語である。

 物語の主人公である五兵衛は、村の高台に住む庄屋で、地震で揺れた後に、海の水が沖へひくのを見て津波を予測。祭りの準備にいそしむ村人たちに危険を知らせるため、刈り取ったばかりの稲束(稲むら)に火をつけた。村人は火事だと思って高台に集まったことによって津波からまぬがれることができたというストーリーで、五兵衛のモデルは、濱口梧陵という実在の人物だ。

 史実においては、濱口梧陵は商人であり、家は町中にあったという。また、燃やしたのは脱穀を終えた藁の山であり、津波を予知してではなく、津波が来襲したのち、暗闇の中で村人に安全な避難路を示すためであったらしい。
 しかし物語には描かれていない大きな功績が梧陵にはある。彼は津波による災害の後、将来の憂いに備え、私財を投じて村に防潮堤を築いた。この防波堤が、事実100年後にこの地を襲う昭和の東南海・南海地震による津波から集落を守ることになる。

 犠牲を払って100年先に地域の人々を救う備えを施した梧陵と、いつやって来てもおかしくないとされる大地震に対して自らの備えもなしえていない自分との落差に少々顔を赤らめてしまう。

 稲むらの火は、自然災害と背中合わせの日本という国の心構えを示すものであると同時に、日本人の本来持っている公共の精神を象徴するものであると感じる。
 稲むらの火を絶やしてはならない。
 

大志の交差する島

週末は、センター試験があり、全国の若者が国公立大学入試の最初の関門に挑んだ。

弓削島では、国立弓削商船高専の入試が行われた。
カフェにも、入試を終えた生徒とその親御さんといった風のお客さまがいらっしゃっていた。

思い返せば僕が高校や大学受験をしたのは、全国の受験者人口もピークのころで、「受験戦争」なんて言葉が普通に飛び交っていた。今考えたら、戦争だなんてそんな物騒な、と少々滑稽に思えるのだが。
そんな中で、進学以外の選択肢や、大学へ行く意味、その先の進路すら考えることもせず、ただ当然のように受験の道を選んだのであった。

今の生徒たちはどうなのだろうか?
かつてのように、有名な学校に進学し、大企業に就職することは、必ずしも安定や発展を約束してくれるものではない。確信を持って安定した将来を描いている学生も、企業もほとんどないのが現実ではないか。

自分は疑うこともせず、ただ安定のレールに乗っかろうとしたが、結果として自らそこを逸脱した。
逸脱したのは自分の選択だ。
安定のレールすら空想物語のように感じられるこのご時世では、選択のタイミングは否応なくもっと早くにやってくるのかもしれない。
自分の進路を決める際に、自分の生き方、自分を活かせる場所、学ぶ目的など真剣に考えるようになっているのだとしたら、不況や不確実性の世の中も悪いことばかりではないとも思う。

県外から弓削商船高専に通うUさんのご子息は、人命救助のロボットを作るために高専を選んだ。
Uさんの言葉を借用すると、3年間、島で暮らし、島に医療機関が無いこと、病気をしたら高い乗船料の船に乗り、病院に行かねばならないこと、ロボットが人命救助をするより、自分の手で人を助けたいと、医学の道に方向転換し、今回センター試験を受けたのだそうだ。

そんな志をもった若者が、この島で勉強しているのだと思うと何とも誇らしい。
もっとも、そんな有為な人材が島を巣立っていくことは喜ばしいことでもあり、少々さみしくもある。

14日新居浜市で実施したセミナーでは、生名島出身の若者M君が、勤務地の大阪からわざわざ駆けつけてくれた。
彼は24歳。弓削商船出身ではないが、やはり県外の高専を卒業し、IT企業に勤める。
セミナー終了後に話をしたところ、いずれ上島町に戻り、島でソフトウェア開発の事業を立ち上げて、雇用を生みたいということであった。
弓削商船高専や外部の企業と連携し、ITやエネルギーなどの新産業を島に興していきたいと考えている僕は、M君と大いに意気投合し夢を語り合った。

若者が夢を持てない時代だ、なんて言葉をよく耳にする。

どっこい夢をもってる若者は、まだまだいる。
いや厳しい時代にこそ、真剣に夢を追いかける若者は多いのかもしれない。

大志をもった若者が思う存分活躍できる環境を、我々が作っておかなければならない。
我々に頼らざるとも彼らはやるのだろうけれども、だからといって我々が我々の責務を放棄してよいということにはならない。
少なくとも僕は、彼らの大志実現の力になりたい。

つなげ、たすき。

15日、第55回上島町駅伝大会(旧弓削駅伝)が開催された。
町外からも多数参加があり、小学生から大人まで77チーム、約460人が寒空の下、健脚を披露した。

生名橋が開通して最初の駅伝大会である今大会は、コースも生名島、佐島、弓削島を結んで設定。
橋の上はさぞかし海風が冷たかったろうに、と思うが、当の選手たちは寒さなど感じさせぬ走りっぷりで観客を魅了した。

毎年、大会が近付くと、島のあちこちで小学生から高校生まで駅伝の練習が見られ、島の冬の風物詩となっている。
弓削高校は目下存続の危機にあり、このまま人口減少が続けば、小学校、中学校とて、駅伝チームを維持することが難しくなるかもしれない。
島の風物詩がなくなることのないよう、この伝統も、そして地域も学校も次の世代へとたすきを渡していかなくては・・・。

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青春とは心の若さである。

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 先日予告させていただいた『地域応援セミナーとうよ~若人発!集おう 語ろう 創ろう 未来の郷土』が、本日400人以上の観客を集め、盛況のうちに幕を閉じた。
 心配された天気も問題なく、しまの会社が参加した各市町の特産品ブースも、「書道ガールズ」で有名な愛媛県立三島高校の書道部員による書道パフォーマンスも期待以上の人気ぶりであった。

 今回の会は、普段こういう場に出てこれない若者世代を引っ張り出してきたこと、地域の中で若者同士がつながったこと、そして異なる地域同士がお互いのことを知り、意見を交わしたことの意義がとても大きい。
 各市町の発表も様々で、特定の活動にスポットライトを当てるものあり、高校生が街に出て取材するものあり、某上島町のようにおっさんになりかけの若者もあり、それぞれに特色を出ていて良かった。

 上島町の事前作業部会でもそう感じたが、お互いが足を引っ張り合うのではなく、認め合い、切磋琢磨し、ときに助け合うことが、総体として力を高めることになる。
 世代間もそうで、若者という一つの世代は、年配の誰もが通って来た道であり、子供たちがこれから通る道であり、それは連綿と途切れなく続くことで、地域も、未来もつくられていく。
 これからは若者だけにまかせようにも人がいなくなってみんなで力を合わせざるを得なくなる。
 若者も定年延長しなくてはならない時代である。
 でも世代間が触れ合い、つながることで、大切な知恵や文化も伝えることができる。

 この会はすばらしかったが、この会だけで終わっては、せっかく盛り上がったこの会の意味は半減する。
 この会をきっかけにして、少しずつでも石を積み上げていきたい。

 上島町代表の実行委員であり、登壇者でもあった岩城新鮮組(※組関係者ではない)の砂川さんが帰り際に言ってくれた言葉が秀逸だった。
 「これをきっかけにしてまた寄ろう。ただの飲み会でもええじゃん。飲んで話したことは全部忘れるかもしれんけど、忘れたらまた次の飲み会で同じこと話せるんじゃけん。」

徹底改造

 野田改造内閣が発足した。
 政経塾からは松原仁先輩が新たに入閣を果たした。
 見慣れたお顔が国家の要職にあることは喜ばしくもあるが、しかし国家の実情は決して安穏と構えてはいられない。

 今回の目玉は、岡田克也前幹事長の副総理兼行革担当大臣兼社会保障と税の一体改革担当大臣就任といわれる。

 消費税増税を掲げて人気を落としている野田内閣。
 人気取りに走らず、やるべきことを断行するのはよいことだと思うが、増税する前に削るもの削れという意見は、もっともであるように思える。
 行政の無駄を省き、公務員改革にも着手し、歳出を抑えるのが順番として先だというのだろう。
 内閣の改造だけでなく、行政システム全体の大改造が急務だ。
 前原先輩いわく「ミスター原理主義」の岡田大臣が、行革を断行できるか、本当に楽しみだ。

 痛みもあるが、膿は出してしまった方が、結局直りは早いのだ。
 その点、国も地方も同じだ。

 宿題はため過ぎると、あとが大変なのよね。

プロジェクトX進行中。

 昨年度から、聖カタリナ大学(松山市北条)の非常勤講師を拝命しており、週一回、しまの大学を一緒に運営する白川さんと二人で、「しまの大学出前講座」と称して、大学生に地域課題やコミュニティビジネスについて学び、考えてもらっている。

 昨年度は、「しまの大学」自体の立ち上げと重なったこともあり、第1回地域課題解決アイデアコンテストに合わせて、学生たちにもチームに分かれてアイデアを競わせた。

 今年度は、学生たちの発意で、島の地域資源の中から「弓削塩」にスポットライトを当て、「弓削塩」を広めていくことで地域を活性化しよう、ということになった。
 年度末に向け、いよいよラストスパート。
 「自分たちの手で、『弓削塩』を一カ月の間に500個販売する。」という目標を立て、販売手法、売り場、宣伝方法など、いかにして売るかを議論し合い、役割分担をして自発的に準備を進めている。
 昨年度に比べて人数は少ないが(11人)、その分まとまりが良いようで、冬休みも自主的に集まって企画を練ったようである。昨年度もそうであったが、社会の常識に汚染されていない学生たちの発想は、粗削りだが、思わぬ斬新な切り口を提供してくれたりする。
 もっともつい現実離れしたアイデアに酔いがちになるため、今回は、それを避けるべく実際に自分たちでやってみるということになったのだ。

 こちらの不安をよそに、なかなかどうして若いというのは伸びしろが無限にあるようで、回を重ねるごとに、言葉やアイデアに説得力が増してくるし、議論の進め方も随分とうまくなってくる。「お、こりゃひょっとするとひょっとするかも。」とつい期待を寄せてしまう。

 島には、この二十代前半の世代はほとんど残っていないのだが、どっこい島を支える人材は島の外にだっている。
 島の力になってもらう一方で、彼らは新たな学び、気づき、成長を得られる。

 彼らの考える島の活性化の行方と、彼らの成長が、気になって仕方がない。

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アラフォーの主張。

 きたる1月14日(土)、新居浜市市民文化センターにて、シンポジウム『地域応援セミナーとうよ』が開催される。
 主催は、愛媛県社会福祉協議会を中心として構成される同名の実行委員会だ。
 私は、昨年だったか南予地域で開催された前回大会に講演者として参加した関係で、今回副実行委員長を仰せつかり、知らないうちに閉会のあいさつまですることになってしまっている。
 無事閉まるかどうかはなはだ不安であるが、しかし今回中身にはとても期待を寄せている。

 今回のテーマは「若人発!集おう 語ろう 創ろう 未来の郷土」。
 普段はなかなかシンポジウムに登壇して話す(どころか聴衆として参加することすら)機会の少ない、地域(愛媛県東予地域5市町)で活動する若者世代に、地域活動の紹介や将来の夢、現状の課題などについて語ってもらおうというもので、年齢層やテーマ、内容などが偏りがちな地域づくりのシンポジウムのスタイルに、新しい風を起こし、地域にも良い影響をもたらす会になりそうな予感がしている。

 昨晩上島町の代表と運営メンバーで直前最後の打ち合わせがあったのだが、上島町では本番に先立ち、11月に弓削島、12月に岩城島において、上島町内の様々な活動に携わる若手世代十数人を集めて、懇談会(全体会に先駆けた分科会。普通とは逆パターンといえる。)を実施した。

 若者といっても、島においては40代でも充分若者。メイン発表者に決まった弓削島の松本さんと、アシスト役の岩城島の砂川さんの、Wミツヒロコンビは、ともに41歳。上島町社協のF君を除けば、当日の上島町関係者は私を含め、みなアラフォーだ。他の4市の中には、発表者が高校生なんてのもあるようで、地域の実情をよく反映している。

 実年齢の若者度においては少々自信のない我々上島町であるが、内容における充実度においては、大いに自信を持ってよいと感じている。

 発表者の人間性や、F君のまとめてくれた発表用資料の完成度もさることながら、事前の懇談会が当初予測していた以上に活き活きとしたものであったからだ。

 普段、様々な立場で地域に関わる者同士は、例え顔見知しりであっても、地域にどんな問題意識を持っているか、どんな夢をもっているかなど、忙しさや照れも手伝って、お互いの思いを知る機会がない。

 ましてや平成の合併により、旧4町村の島々が一つの自治体となった上島町は、海という物理的な隔たり、歴史・文化の違いもあって、異なる島同士の交流が少なかった。
 それどころかお互いを敬遠する傾向がどの世代にもある。

 しかし、私のように合併後に外から来た人間から見れば、それぞれの島はそれぞれに良さをもっていて、競争しあうところは競争し、力を合わせるところは合わせて、お互いの特性を活かしあい、伸ばしあえばより強力な魅力を作れるのに、もったいないなあと思ってしまう。

 今回の会は、それらの壁をとっぱらい、オール上島で島の魅力を作り、伝えていくきっかけとなるものだと思う。
 最初は、遠慮がちに話していたメンバーだったが、2回目の集まりでは、視界の進行も無視して、各々が自分から語りだしていたのだ。
 しかも、それらの言葉の一つ一つがどこからか借りて来たものでは決してなく、島のことを愛し、島の将来を真剣に思う魂のこもった言葉ばかりであったことに、得も言われぬ感動を覚え、ひと筋の希望の光を見た。

 もちろん、そこに出てきた課題は、決して楽観していられるものではない。人は減り続け、行事や知恵・文化の存続も危ぶまれている。当然その先には地域自体の存続がかかっている。

 しかし、少なくともそこに集まっているメンバーは、それら島の魅力を知っており、次の世代に伝えていかなければならないと思っている。

 上島町の発表テーマは、誰が言うともなく「継承」となった。
 自分たちの知る島の魅力、少しずつ失われていく島の文化、知恵、遊びなどを、自分の子供たちにも知ってほしい。
そのことによって、たとえ島を出て行ったとしても、また帰ってきたい、島のために何かしたいと思ってくれる。
 島を残すために、そうしなければならない。

 そのために、みんなで楽しく集まれる場や、学校と地域のかかわり、異なる島々を結ぶネットワーク、世代間の交流の機会などをつくっていく必要がある。

 気づいたら予定時間を大きく過ぎるのも気づかず熱く語り合った。

 そんなアラフォーたちの熱い思いを、ぜひ当日会場に来て聞いていただければと思う。

日本は意外と広かった。

昨日、後輩(松下政経塾)の結婚式で弘前を訪れた。
初めての青森だったが、真冬の雪国というのが、
ぶあつい純白の布団をかぶせたように
雪に覆われてしまっているという光景に、全く驚いてしまった。
今まで知識の上では知っていたはずであるし、映像としても目にしているはずなのにである。

短い滞在ではあったが、
丘陵に広がる白い綿帽子をかぶったリンゴの木々や、
長い冬を過ごすための保存食の種類の多さ、
町のあちこちに飾られたねぷたの武者絵、
温泉に長逗留して体をいやす湯治の伝統の名残など、
同じ日本でも所変われば、気候も文化も風景も食も違うんだなあと、
今更ながらに感心した。
特に感動したのは、新郎である後輩K君に今朝町を案内してもらった時に聞いた話。
昔は学校が木造校舎であったころ、雪を校舎の中に入れて掃除したという。
雪を入れて箒で掃くことで、雪が埃を吸いつけて床がぴかぴかになるのだそうだ。
土地土地には、知恵も風土に合わせて多様化する。

昨今は、メディアや交通網や大規模流通システムの発達によって、
どこに行っても、同じような文化、店、品物、食べ物という風なので、
本来は土地によって風土、文化が違っていたのだと気がつくことが少ない。

しかし雪を使った掃除のように、その土地の特色を反映させた知恵や文化は、
外から来た者を唸らせるものが多い。

多様であることは効率が悪くコストがかさむイメージを抱かせるが、
多様な環境に対応した知恵こそがそのよいところを活かして無駄が少なく、
またリスクを分散することにもなって全体としては効率が良いのではないかと思われる。

そして、多様な文化があることは、
その文化の数だけ発見や魅力があるということであり、
そこに異なる文化同士の交流や摩擦や融合による化学反応が起こり、
新たな創造を生み出すもととなる。

さらに、異なる気候、風土をもつ土地同士は、
たとえば食一つにとってもお互いにないものを融通しあい、
補完関係になることができる。

あるいは、地理的に離れているというだけで、
どちらかが災害に見舞われたときに、
助けに行ったり、受け入れたりできるかもしれない。

ゆるキャラやB級グルメも悪くないが、
長い時間をかけてその土地で培われた
何でもないと(あるいは恥ずかしいなんて)思っている知恵や文化に、
他者を引き寄せる思いもよらぬ魅力が潜んでいるのではないだろうか?

もう少し足元を見直してみる価値はありそうだ。

下町ロケット

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久しぶりのレコメン道。
今年は、つん読にされている可哀そうな数多の本を、
少しでも多く読んであげたいと思っているのですが、
まだ一冊も読めてません。

少し前に読んだ本ですが、
平成23年度上半期の直木賞を受賞作品であり、
今も本屋さんで平積みになってる本なので、
読んだ方や今読んでる方も多いのではないでしょうか。

文学作品としてよりもむしろエンターテイメント性の濃い作品のような気がしますが、
ただストーリー展開が軽快で面白いということよりも、
下町にある技術一本の中小企業が景気や元請けや競合他社から降りかかる様々な困難を乗り越えて、
ロケットを打ち上げる(厳密にはロケット部品を製造する)にいたるという、
夢を実現するまでの道程が心理描写や社会情勢を盛り込みながら表現されており、
読む者が物語に引き込まれていく感覚があります。

とにもかくにも『夢』のあるお話です。
今多くの人が欲しているストーリーなのかもしれません。
僕も元気と勇気をいただきました。

よろしかったらいかがでしょうか?

へっぽこ

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